草稿詩篇1933―1936<37>(なんにも書かなかつたら)
(なんにも書かなかつたら)は
第1節末尾に
(一九三四・一二・二九)の日付を持ち
「草稿詩篇1933―1936」の中では
1934年制作の作品の最終にあります
この年に書かれた
道化調詩篇群のうちでも
最後の作品ということになります
年も押し迫り
1934年という年も残すところ3日です
つい最近印刷を終えた
第一詩集「山羊の歌」の一般販売が
この日にはじまりました
詩人は
その仕事を振り返ります
わき目一つしないで
突っ走ってきた詩人に
少し余裕ができたのでしょうか
苦労して
やっと刊行に漕ぎ着けた詩集を
手にとって
パラパラめくりながら
ふつふつと沸き立ってくる思いを
詩の形で表白します
なんにも書かなかつたら
みんな書いたことになつた
覚悟を定めてみれば、
此の世は平明なものだつた
書き出しは
そぎ落とせるものはそぎ落とし
肩の力を抜いて
率直な気持ちが出たものでしょうか
詩人は
この時
夕陽に向つて、
野原に立つてゐた。
まぶしくなると、
また歩み出した。
まるで
西部劇の主人公のように
腰にぶら下げたガンに手をあてがい
いまにも
引き金を引こうとするかのように
ポーズをとろうとして
思いとどまり……
思いとどまれば
夕陽がまぶしくて
きびすを返して
また歩きはじめます
すると
口をついて出るのは
何をくよくよ、
川端やなぎ、だ……
土手の柳を、
見て暮らせ、よだ
という
東雲節(しののめぶし)の一節です
♪何をくよくよく川端柳(かわばたやなぎ)
♪水の流れをみて暮らせ
明治時代の流行歌として
各地で歌われ
もっと古い時代
江戸時代あたりからある
都々逸(どどいつ)ともいわれる
この歌の言葉は
繰り返し口ずさんでいると
不思議に
楽な気持ちになってくるものがあります
詩人も
この癒し効果のようなものを
この歌の言葉に感じて
落ち込んだときには
口ずさむことがあったのでしょうか
ふいに
この歌が出てきたのですが
水の流れをみて暮らせ
と、歌うべきところを
土手の柳を見て暮らせとしました
blowin' in the wind
風に吹かれて、ですね
let it be かもしれません
ままよ、です
ドンマイ!ドンマイ!
気楽に行こうぜ
という心境で
詩人は
詩集刊行を果たした
気負いを押さえて
だ……
よだ
と、一歩引いた
道化の位置で
わが身を振り返るのです
*
(なんにも書かなかつたら)
なんにも書かなかつたら
みんな書いたことになつた
覚悟を定めてみれば、
此の世は平明なものだつた
夕陽に向つて、
野原に立つてゐた。
まぶしくなると、
また歩み出した。
何をくよくよ、
川端やなぎ、だ……
土手の柳を、
見て暮らせ、よだ
(一九三四・一二・二九)
2
開いて、ゐるのは、
あれは、花かよ?
何の、花か、よ?
薔薇(ばら)の、花ぢやろ。
しんなり、開いて、
こちらを、むいてる。
蜂だとて、ゐぬ、
小暗い、小庭に。
あゝ、さば、薔薇(さうび)よ、
物を、云つてよ、
物をし、云へば、
答へよう、もの。
答へたらさて、
もつと、開(さ)かうか?
答へても、なほ、
ジツト、そのまゝ?
3
鏡の、やうな、澄んだ、心で、
私も、ありたい、ものです、な。
鏡の、やうな、澄んだ、心で、
私も、ありたい、ものです、な。
鏡は、まつしろ、斜(はす)から、見ると、
鏡は、底なし、まむきに、見ると。
鏡は、ましろで、私をおどかし、
鏡、底なく、私を、うつす。
私を、おどかし、私を、浄め、
私を、うつして、私を、和ます。
鏡、よいもの、机の、上に、
一つし、あれば、心、和ます。
あゝわれ、一と日、鏡に、向ひ、
唾(つば)、吐いたれや、さつぱり、したよ。
唾、吐いたれあ、さつぱり、したよ、
何か、すまない、気持も、したが。
鏡、許せよ、悪気は、ないぞ、
ちよいと、いたづら、してみたサァ。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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