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2010年6月 8日 (火)

草稿詩篇1933―1936<39>坊や

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「坊や」は
(一九三五・一・九)と
詩の最後に日付のある作品で
タイトルも付けられた
完成作です

前年10月18日に生まれた
長男文也を
モチーフにした詩としては
最初の作品になるでしょうか

子どもを産むということの
大変さについて
また、その後の、
乳飲み子の世話から
乳離れ後の子育て全般の苦労について
詩人は
深い畏敬の感情とでもいうべき
眼差しをもって
妻孝子をいたわりました

この年末12月30日の日記に、

夜明け、鶏鳴を、坊や目覚めて独り真似てゐる。やがて、母親を起さんとす。
「ホラ鶏が鳴いてるよ」といふ気持で、一生懸命母親を起さんとすれども、母
親は眠いのなり

と、赤ん坊への慈愛に満ちた眼差しとともに
妻へのいたわりの心を記しています

日記にこう記した日よりも
1年近く前に制作した
「坊や」で
詩人は
これと同じ感情を
歌っているのです

制作日である1月9日は
中原家の次男
つまり中也の次の弟亜郎の命日でもありました

この詩が書かれた原稿用紙の隅には
横書きで
ArÔ Boé/Sancta Maria/Ondarayasowaka/Denkyodaishi
というメモ書きがあり
それは「×」で抹消されているそうです
(新編全集第2巻・詩Ⅱ解題篇)

ArÔは、「亜郎」
Boéは、「坊へ」
Sancta Mariaは、「聖母マリア」
Ondarayasowakaは、サンスクリット語の「Om Tarayasvāhā」
Denkyodaishiは、「伝教大師」

ではないか
という考証が
新編全集編集委員会によって進められていますが
確定はできません

一つの詩の読みに
原稿用紙の隅に
書きおかれたメモ書きが
重要なカギとなるという
このようなケース自体が
極めてスリリングです

「坊や」という詩に
亜郎の死の影があるのだとすれば
詩の読みは
俄然、変質を余儀なくされることになります
というより
読みは深まってゆきます

この詩は
第一子の誕生を
寿(ことほ)ぐ歌であるばかりでなく
人の誕生には
人の死のイメージが重ならざるを得ない
という思いを抱き続けてきた詩人の
独特の死生観みたいなものが
流れていることになります

新しい生命の誕生が
死のイメージを喚起するということが
詩に現れる例として
このほかに
「秋岸清凉居士」
「誘蛾燈詠歌」が指摘されています

大岡昇平も
ここのあたりを
熱心に追求し
「この時期は盛んな『在りし日』の氾濫があったらしい」
と記しています

ということを踏まえて読むと
この詩で繰り返される
「清水が流れるやうに」
「流れる清水のやうに」が
最終連第3行で
「さらさらさらと」と修飾されているのが
「在りし日の歌」の「一つのメルヘン」へと
つらなっていく流れであることが理解できます

 *
 坊や

山に清水が流れるやうに
その陽の照つた山の上の
硬い粘土の小さな溝を
山に清水が流れるやうに

何も解せぬ僕の赤子(ぼーや)は
今夜もこんなに寒い真夜中
硬い粘土の小さな溝を
流れる清水のやうに泣く

母親とては眠いので
目が覚めたとて構ひはせぬ
赤子(ぼーや)は硬い粘土の溝を
流れる清水のやうに泣く

その陽の照つた山の上の
硬い粘土の小さな溝を
さらさらさらと流れるやうに清水のやうに
寒い真夜中赤子(ぼーや)は泣くよ
          (一九三五・一・九)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 

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