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2010年6月18日 (金)

草稿詩篇1933―1936<41―2>(おまへが花のやうに)

(おまへが花のやうに)は
初恋の思い出を歌った詩です
より正確にいえば
初恋の一つを歌った、ということですが
初恋がいくつもあるということになると
それも矛盾ですが
若き日に恋した相手のことは
後年、どの一人のことも
初恋と呼んでおかしくもない
甘酸っぱく
楽しく、悲しい思い出でもあります

この恋は
何歳の頃のことでしょうか

松並木の道を通って
日曜日の朝日を受けてやってくる
女の子は
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた
花のようで

その姿が見えると
僕は
嬉しくて嬉しくて
変になるのでした
それから
近くを流れる
椹野川(ふしのがわ)の河原に座って
話をしましたが

僕はといえば
一度も素直な態度でいたことはなく
いつもお前を小突いてみたり
あれやこれやふざけてばかりいたのでした

今でもあの時僕らが座った
河原の石は
あのままだろうか
草は今でも生えているか
そんなことを、誰か、知っているものがいるわけがない

お前はその後どこへ行ってしまったのか
お前は今ごろどうしているか
僕は何も知りはしない
ああ、そんなことって、あるか、え

そんなことってあるか
あってもなくても
お前は今では赤の他人
どこで誰と笑っていることやら
今も香水つけていることやら

香水をつけている女性なら
もう高校生ほどの年ごろでしょうか
それとも
何かの折に
小学生か中学生が香りをつけて
詩人のところへ遊びにきたのでしょうか

よそ行きの「べべ」を着て
親戚である
詩人の家を訪問した親子連れの中に
この女性はいたのでしょうか

「うすねずの絹の靴下」が
なんとも
なまめかしく
成熟した女性を想像させるのは
自然ですが
それを穿いていたのは
少女であったろう、
という想像も捨てがたく
花のような少女の像が
鮮やかに残りもします……

この詩は
角川・旧全集では
「初恋集」の第3節とみなされていましたが
新全集では
独立した作品と解釈されました

*
(おまへが花のやうに)

おまへが花のやうに
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のやうに
松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとほつて
日曜の朝陽を受けて、歩んで来るのが、

僕にみえだすと僕は大変、
狂気のやうになるのだつた
それから僕等磧(かわら)に坐つて
話をするのであつたつけが

思へば僕は一度だつて
素直な態度をしたことはなかつた
何時でもおまへを小突(こづ)いてみたり
いたづらばつかりするのだつたが

今でもあの時僕らが坐つた
磧の石は、あのまゝだらうか
草も今でも生えてゐようか
誰か、それを知つてるものぞ!

おまへはその後どこに行つたか
おまへは今頃どうしてゐるか
僕は何にも知りはしないぞ
そんなことつて、あるでせうかだ

そんなことつてあつてもなくても
おまへは今では赤の他人
何処で誰に笑つてゐるやら
今も香水つけてゐるやら
       (一九三五・一・一一)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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