草稿詩篇1933―1936<48>春の消息
「春の消息」は
「大島行葵丸にて」と同じ日
1935年(昭和10年)4月24日に
作られました
タイトルははじめ
詩の冒頭行の
「生きてゐるのは喜びなのか」でした
「大島行葵丸にて」で
詩人は
甲板から唾(つば)をポイと吐き
この唾が
悪い病気の兆しを思わせるのですが
この詩にも
第4連に
こんな思ひが浮かぶといふのも
たゞたゞ衰弱(よは)(つ)てゐるせいだろうか?
とあり
同じように
体調の思わしくないことを歌います
この頃
詩人は
妻子を故郷に残し
単身で
先に上京していました
「大島行葵丸にて」と同じように
吾子(わが子)の顔が
思い出されていたのかもしれません
*
春の消息
生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲みなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街(まち)なぞ歩いてゐました
店舗(てんぽ)々々に朝陽はあたつて
淡(あは)い可愛いい物々の蔭影(かげ)
僕はそれでも元気はなかつた
どうやら 足引摺(ひきず)つて歩いてゐました
生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲みなのか
こんな思ひが浮かぶといふのも
たゞたゞ衰弱(よは)(つ)てゐるせいだろうか?
それとももともとこれしきなのが
人生といふものなのだらうか?
尤(もっと)も分つたところでどうさへ
それがどうにもなるものでもない
こんな気持になつたらなつたで
自然にしてゐるよりほかもない
さうと思へば涙がこぼれる
なんだか知らねえ涙がこぼれる
悪く思つて下さいますな
僕はこんなに怠け者
(一九三五・四・二四)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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