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2010年6月29日 (火)

草稿詩篇1933―1936<48>春の消息

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「春の消息」は
「大島行葵丸にて」と同じ日
1935年(昭和10年)4月24日に
作られました

タイトルははじめ
詩の冒頭行の
「生きてゐるのは喜びなのか」でした

「大島行葵丸にて」で
詩人は
甲板から唾(つば)をポイと吐き
この唾が
悪い病気の兆しを思わせるのですが
この詩にも
第4連に

こんな思ひが浮かぶといふのも
たゞたゞ衰弱(よは)(つ)てゐるせいだろうか?

とあり
同じように
体調の思わしくないことを歌います

この頃
詩人は
妻子を故郷に残し
単身で
先に上京していました

「大島行葵丸にて」と同じように
吾子(わが子)の顔が
思い出されていたのかもしれません

 *
 春の消息

生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲みなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街(まち)なぞ歩いてゐました

店舗(てんぽ)々々に朝陽はあたつて
淡(あは)い可愛いい物々の蔭影(かげ)
僕はそれでも元気はなかつた
どうやら 足引摺(ひきず)つて歩いてゐました

   生きてゐるのは喜びなのか
   生きてゐるのは悲みなのか

こんな思ひが浮かぶといふのも
たゞたゞ衰弱(よは)(つ)てゐるせいだろうか?
それとももともとこれしきなのが
人生といふものなのだらうか?

尤(もっと)も分つたところでどうさへ
それがどうにもなるものでもない
こんな気持になつたらなつたで
自然にしてゐるよりほかもない

さうと思へば涙がこぼれる
なんだか知らねえ涙がこぼれる
  悪く思つて下さいますな
  僕はこんなに怠け者
       (一九三五・四・二四)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 

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