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2010年7月20日 (火)

草稿詩篇1933―1936<57>雲

「雲」も
「夜半の嵐」と同様に
昭和10年(1935年)後半~同11年(1936年)前半、
と制作日の推定幅を大きくとられた作品

一度
2009年5月6日に読みました
その時とほぼ同じ読みになりますが
新たな発見を加えて
もう一度読んでみます

詩人は
遠い過去に
のぼったことのある山の見える場所
そこは郷里の山口のどこかか
見晴らしの利く丘か野原か
後ろ手に組んだ腕に頭を乗せて
回想に耽っています

あの山の上で
お弁当を食べたことがあるなあ

小学校の遠足のことでしょうか
もっと大人になってからのことでしょうか
あの時のあの女の子
結婚した後、どうしているだろうか……
などと
深まってはいかない思い出は
あっちへ行きこっちへ行き

遠い過去の出来事
近い過去の出来事と
行ったり来たりしているうちに

山の上にいて、寝ころんで、空を見るのも
ここから、あの山を見るのも
同じようなものだ
動かなくてよい
動くな
動かなくてよいのだ

このようにして
枯れ草に寝そべって
やわらかな温もりにくるまれ
空の青の、冷たさそうなのを見ながら
煙草を吸っていられるんだ
こいつは世界的な幸福といってもよい
などと
一瞬でしかない
幸福な時間に浸っています

つい先だって
「曇った秋」で

我等の記臆、謂(い)はば我々の命の足跡が
あんまりまざまざとしてゐるといふことは
いつたいどういふことなのであらうか

と歌った詩人です

同じ頃
「夜半の嵐」では

喀痰(かくたん)すれば唇(くち)寒く
また床(とこ)に入り耳にきく
夜半の嵐の、かなしさよ……
それ、死の期(とき)もかからまし

と歌った詩人でもあります

遠い過去も
近い過去も同じこと
山の上で見る空も
ここからあの山を見るのも同じこと
といえる地点に詩人はいて
そこから
山の上の雲をながめ
過去を振り返っているとしかいえません

そこは
世界的幸福な地点なのでありますから
遠い過去も近い過去も
あの山もここも
みんな同じようなことで
永遠の一瞬の
その時の時だけがあり
ほかは何もない世界です
……

*

山の上には雲が流れてゐた
あの山の上で、お弁当を食つたこともある……
  女の子なぞといふものは
  由来桜の花弁(はなびら)のやうに、
  欣(よろこ)んで散りゆくものだ
  
  近い過去も遠いい過去もおんなじこつた
  近い過去はあんまりまざまざ顕現(けんげん)するし
  遠いい過去はあんまりもう手が届かない

山の上に寝て、空を見るのも
此処(ここ)にゐて、あの山をみるのも
所詮(しょせん)は同じ、動くな動くな

あゝ、枯草を背に敷いて
やんわりぬくもつてゐることは
空の青が、少しく冷たくみえることは
煙草を喫ふなぞといふことは
世界的幸福である

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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