草稿詩篇1933―1936<60>小唄二篇
長男文也はすくすくと育ち
どうやらこの頃
第二子の懐胎を知り
一方、
第一詩集「山羊の歌」の刊行以来
詩人としての名声は高まり広がり
「文学界」「四季」「改造」「歴程」などへの寄稿も頻繁になり
酒席の場への出入りも増えていました
よいことの多くはなかった詩人は
ここにきてようやく上り調子にあるにもかかわらず
時として
人の命のはかなさを感じ
人生を振り返ることが多くなるのは
自分の体の中で進行する
よからぬ病を
人知れず自覚していたからでしょうか
この時点で
長男文也が死んでしまう(11月10日)ことなど
夢にも思うことなく
1月には「含羞(はじらひ)」を書き
「文学界賞」に投稿した「六月の雨」が
1等には選ばれず
佳作第1席作品として掲載されるのは
6月のことですし
7月には
「ランボウ詩抄」を刊行します
昭和11年(1936年)3月~7月と
制作日を推定されている「小唄二篇」は
一で
漆黒の海に響きわたる汽笛を
二で
自殺者のニュースが伝わる三原山を
ともに
明るくはない題材を歌いながらも
リズムがあって
ホッとさせるものがあります
*
小唄二篇
一
しののめの、
よるのうみにて
汽笛鳴る。
心よ
起きよ、
目を覚ませ。
しののめの、
よるのうみにて
汽笛なる。
二
僕は知つてる煙(けむ)が立つ
三原山には煙が立つ
行つてみたではないけれど
雪降りつもつた朝(あした)には
寝床の中で呆然(ぼうぜん)と
煙草くゆらし僕思ふ
三原山には煙が立つ
三原山には煙が立つ
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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