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2010年7月24日 (土)

草稿詩篇1933―1936<61>断片

回想は
まだまだ続けられ
昭和11年(1936年)11月中旬に制作されたと
推定されている「断片」は
10年前と12年前の思い出にふれます

前半に出てくる「恋人」は
長谷川泰子らしく
後半に出てくる「あの男」は
詩人・富永太郎らしいことが推察できます

詩作当時も
血液型の研究は進み
一般にも流布していたのでしょうか
相性判断の恰好の材料として
現在のように
週刊誌などで宣伝されていたものなのでしょうか

詩人の周辺にも
たとえば
銀座のバーあたりには
新しがり屋で
占い好きで
なんでもかんでも血液型で判断するのが好きな人物が
遊び半分
詩人の交友関係を
占ったりした場面がいつかあったのかも知れません

恋人よ!
と、呼びかける詩句は
「山羊の歌」の「盲目の秋」に

私の聖母!(わたしのサンタマリア!)

があり、
「無題」冒頭に

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆふべもおまへと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。

などとあるのを
すぐさま連想しますが
「断片」は
さすがに直接話法の生々しさはそがれて
恋人同士のどんな思いも
思いどころか肉体もが
百年後には影も形もなくなっていることを
冷徹に見通す目に重点は移動していますし
それを
血液型の話の枠内に押しとどめようとする
「道化調」さえあります

この詩は
かつての恋も
百年も経てば
跡形もなく
この冬の夜のように
煙突を吹きつける風が
はげしいのだけが変らずにあり続けるのであり
それを思えば
淋しくてたまらない
どうしようもなく淋しい、
というところに重心があり
恋そのものは遠景に退いているのです

後半のあの男(富永太郎)の思い出も
12年前のちょうど今ごろ
火鉢を囲んで
ゴールデンバットを盛んに吸っては
談論風発したのに
今はこうして僕は生きのび
僕とゴールデンバットはあり続けているのに
あの男はいない
という不思議さに目は向けられ
やはり遠い過去の景色としてあります

僕がこうしてあの男とゴールデンバットを吸いながら
あれこれと話したことを
記憶にとどめて思い出すことができるというのは
気持ちがしっかりしているからであって
そうでなければ
こんなにもまざまざとあの男のことを
思い出すこともできないのだから
これはもはや悲しいということを通り越している

通り越して
どんな状態であるか
そこに
詩人が述べたいものが存在しているのですが
それは言ってしまうと
白々しくて
あつ苦しくて
どうにもならなくて
何の役にもたたない
断片みたいなもので
……

そうやすやすと
言えるものではないけれど
いろいろな形で
実は言ってきたものです
そんなことばかりを言わないでいれば
もう少し裕福になっていたかもしれないのに
こりずに何度も何度も
そのことばかりについて言おうとしてきました

 *
 断片

(人と話が合ふも合はぬも
所詮は血液型の問題ですよ)?……

恋人よ! たとへ私がどのやうに今晩おまへを思つてゐようと、また、おまへが私を
 どのやうに思つてゐようと、百年の後には思ひばかりか、肉体さへもが影をもとど
 めず、そして、冬の夜(よる)には、やつぱり風が、煙突に咆(ほ)えるだらう……
おまへも私も、その時それを耳にすべくもないのだし……

さう思うふと私は淋しくてたまらぬ
さう思うふと私は淋しくてたまらぬ

勿論(もちろん)このやうな思ひをすることが平常(いつも)ではないけれど、またこんなことを思つてみ
 たところでどうなるものでもないとは思ふけれど、時々かうした淋しさは訪れて来
 て、もうどうしやうもなくなるのだ……

(人と話が合ふも合はぬも
所詮は血液型の問題ですよ)?……

さう云つてけろけろしてゐる人はしてるもいい……
さう云つてけろけろしてゐる人はしてるもいい……

人と話が合ふも合はぬも、所詮は血液型の問題であつて、だから合ふ人と合へばいい
 合はぬ人とは好加減(いいかげん)にしてればいい、と云つてけろけろ出来ればなんといいこつた
らう……

恋人よ! 今宵煙突に風は咆え、
僕は灯影(ほかげ)に坐つてゐます
そして、考へたつてしやうのないことばかりが考へられて
耳ゴーと鳴つて、柚子(ゆず)酸ッぱいのです

そして、僕の唱へる呪文(?)ときたら
笑つちや不可(いけ)ない、こんのものです
  ラリルレロ、カキクケコ
  ラリルレロ、カキクケコ

現にかういつてゐる今から十年の前には、
あの男もゐたしあの女もゐた
今もう冥土に行つてしまつて
その時それを悲しんだその母親も冥土に行つた
もう十年にもなるからは
冥土にも相当お馴れであらうと
冗談さへ云ひたい程だが
とてもそれはそうはいかぬ
十二年前の恰度(ちょうど)今夜
その男と火鉢を囲んで煙草を吸つてゐた
その煙草が今夜は私独りで吸つてゐるゴールデンバットで、
ゴールデンバットと私とは猶(なお)存続してるに
あの男だけゐないといふのだから不思議でたまらぬ
勿論(もちろん)あの男が埋葬されたといふことは知つてるし
とまれ僕の気は慥(たし)かなんだ
だが、気が慥かといふことがまた考へやうによつては、たまらないくらゐ悲しいこと
 で
気が慥かでさへなかつたならば、尠(すくな)くとも、僕程に気が慥かでさへなかつたならば、
 かうまざまざとあの男をだつて今夜此処(ここ)で思ひ出すわけはないのだし、思ひ出して、
 妙な気持(然り、妙な気持、だつてもう、悲しい気持なぞといふことは通り越して
 ゐる)にならないでもすみさうだ

そして、
(人と話が合ふも合はぬも
所詮は血液型の問題ですよ)と云つて
僕も、万事都合といふことだけを念頭に置いて
考へたつて益にもならない、こんなことなぞを考へはしないで、尠くも今在るよりは
 裕福になつてゐたでもあらうと……

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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