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2010年8月19日 (木)

草稿詩篇1925-1928<8> 無題(疲れた魂と)

「無題」(疲れた魂と)に
「良夜(あたらよ)」とあるのは
どうやら夏の夜のことらしいのは
この詩の制作日が
(一九二七・八・二九)と記されていたり
「在りし日の歌」の「初夏の夜」には
「されば今夜六月の良夜なりとはいへ、」とあったりすることから
想像できることです

1927年(昭和2年)は
中原中也が20歳になる年ですが
すでに「朝の歌」は制作され
「詩人として専心」する決意いよいよ固まったものの
中野町桃園での孤独な暮しに変りはありません

「あたらよ」は
朝が来るのが惜しく感じられるほど
すばらしい夜のことのはずなのですが
詩人には
「疲れた魂と心の上に、訪れる夜」なのでした

そのために
詩人が眠りに就こうとしている
額(ひたい)の上のほうには小児がいて
詩人をさきほどから見守っているのです

その小児は色が白く
水草の青い色の中で揺れて
瞼は赤く充血して
何ものかを恐れているようでした

その小児が自殺すれば
美しい唐縮緬(とうちりめん)が飛び出すはずでしたが……

(この詩句に仕掛けられた
中也独特のサプライズ!)

実際は何事もなく
あたらよの闇は豊かに黒く青ずんでいました
私=詩人は木の葉に止まった一匹の昆虫か何かのようでしたが……
それなのに心は悲しみで一杯でした

額のつるつるした小さいお婆さんがいまして
慈愛に満ちた表情は小川の春のさざ波でした
けれども時々お婆さんは怒り散らすことがありました
そのお婆さんは今死のうとしていました……

神様は遠くにいるのでした
素晴らしい夜に空気は動かずに、神様は遠くにいるのでした
私はお婆さんの過去にあったことをなるべく語ろうと思っていました
私はお婆さんの過去にあったことを、なるべく語ろうと思っていました

(そうだよ、お婆さん! たまには怒り散らすことはいいことなんですよ)

ダダというより
シュールな
フランス象徴詩というより
シュールな
ベルレーヌでも
ランボーでもない……
「朝の歌」でもない
独特の世界があります

中原中也の年譜の
大正15年・昭和元年(1926年)と
昭和2年(1927年)の2年間を
もう一度見ておくと……

大正15・昭和元年(1926) 19歳

2月「むなしさ」を書く。
4月、日本大学予科文科に入学。
5-8月にかけて「朝の歌」を書く。
9月、家に無断で日大を退学。その後、アテネ・フランセに通う。
11月「夭折した富永」を「山繭」に発表。
この年「臨終」を書く。

昭和2年(1927年) 20歳

春、河上徹太郎を知る。
8月20日、「富永太郎詩集」(私家版)刊行。
「無題」(疲れた魂と心の上に……)」。
9月に辻潤、10月に高橋新吉を訪問。
11月、河上の紹介で作曲家諸井三郎を知り、音楽団体「スルヤ」との交流始まる。
この年、「ノート小年時」の使用を開始。

と、なっていますが
これを整理しますと

1、詩作をはじめとした制作方面は
「むなしさ」
「朝の歌」
「夭折した富永」
「臨終」
「富永太郎詩集」(私家版)刊行
「無題」(疲れた魂と心の上に……)

2、学校関係および交友関係は
日本大学予科文科
アテネ・フランセ
「山繭」
河上徹太郎
辻潤
高橋新吉
作曲家諸井三郎
音楽団体「スルヤ」

となりますが
ここに小林秀雄の名前がなくても

河上徹太郎
「朝の歌」
「夭折した富永」
「富永太郎詩集」(私家版)刊行
「山繭」
音楽団体「スルヤ」……などで

中原中也と小林秀雄は
接触していました
一時断絶していた交流は
再開されています

ほかにも1927年には
1、日記をつけ始めました
2、第一詩集の編集を試みました
3、「歩く」習慣が定まりました

そのうえ
4、辻潤、高橋新吉を忘れずに、訪問しました
5、フランス行きの願望を抱きました
6、音楽団体「スルヤ」との交流をはじめました

実にたくさんのことを
はじめています
「無題」(疲れた魂と)は
この頃に制作されていながら
第一詩集にも選ばれなかった
(計画終了後に制作したからか?)
数少ない作品の一つということになります

 *
 無題

疲れた魂と心の上に、
訪れる夜が良夜(あたらよ)であつた……
そして額のはるか彼方(かなた)に、
私を看守(みまも)る小児があつた……

その小児は色白く、水草の青みに揺れた、
その瞼(まぶた)は赤く、その眼(まなこ)は恐れてゐた。
その小児が急にナイフで自殺すれば、
美しい唐縮緬(とうちりめん)が飛び出すのであつた!

しかし何事も起ることなく、
良夜の闇は潤んでゐた。
私は木の葉にとまつた一匹の昆蟲(こんちゅう)……‥
それなのに私の心は悲しみで一杯だつた。

額のつるつるした小さいお婆さんがゐた、
その慈愛は小川の春の小波だつた。
けれども時としてお婆さんは怒りを愉しむことがあつた。
そのお婆さんがいま死なうとしてゐるのであつた……

神様は遠くにゐた、
良夜の空気は動かなく、神様は遠くにゐた。
私はお婆さんの過ぎた日にあつたことをなるべく語ろうとしてゐるのであつた、
私はお婆さんの過ぎた日にあつたことを、なるべく語ろうとしてゐるのであつた……

(いかにお婆さん、怒りを愉しむことは好ましい!)

                (一九二七・八・二九)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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