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2010年8月 5日 (木)

草稿詩篇1925-1928<3-1>秋の愁嘆

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 小林は当時盲腸炎手術のため、入院中であった。富永が「きたない」といって、酸素吸入管を取り去った話を聞き、「富永らしい」といったという。
 この病室に長谷川泰子がいたことから、新しい物語が始まるのである。
 
大岡昇平は「中原中也」の中の
「Ⅱ朝の歌」の「富永の死、その前後」
(初出は「別冊文芸春秋」第50号「詩人の死まで」1956年3月刊)を
このように結んで
次の「友情」で
長谷川泰子が中原中也を捨て
小林秀雄の元へと去った事件の
クライマックスへと言及していきますが
ここで「病室」とあるのは
小林秀雄が入院していた京橋の病院のことで
富永太郎が危篤状態になる
11月初旬より少し前の
10月下旬頃のこと
泰子と一緒に行くはずだった大島行きから帰った直後に
盲腸炎になり入院したことを指しています

このころ
富永太郎の病状は悪化する一方で
その臨終の始終を
克明に記録していたのは
富永の京大の学友、正岡忠三郎で
家族の知らせで急遽上京し
富永の病室に入室できる許可を与えられていましたから
記録を残すことができたのです

大岡はこれを引用して
富永太郎終焉記として
「富永の死、その前後」に
載せていますが
この正岡が
富永の代々木富ヶ谷の実家に
着いたのは11月6日で

「秋の愁嘆」は
(一九二五・一〇・七)の日付をもちますから
この日より
1か月前に制作されたことになります
この頃の中也は
富永の容態を知らないでいましたから
「富永はその後大分よくなりました。もう後は楽に癒るのでせう」などと
正岡宛の書簡に記すほどでした

富永の死の1か月前に
中原中也は
富永の死を予想だにできなかったのは
富永自身に忌避されていて
小林秀雄からも絶交されていて
危篤状態になった11月初めにも
「dadaさんにはないしょ」と
危篤を知って駆けつけた正岡に
筆談で富永が示したことが分かっているほど
富永に関する情報から
隔絶されていたからです

この詩も
富永太郎の「秋の悲歎」の「戯画化」と
大岡昇平が評しているように
富永作品との関連の中で
読まれる慣わしですから
再び「秋の悲歎」を引用しておきますが
「ある心の一季節」と同様に
ここ「秋の愁嘆」にも
中原中也が存在するばかりなことは
くれぐれも銘記して読んだほうがよく
あくまで中原中也の詩を
味わってほしいものです

「戯画化」であったとしても
詩としての作品の価値が損なわれるものではなく
「優れた戯画化」である価値さえもっていることも間違いなく
これを富永太郎が読んだ上で
中原中也を忌避する一因になったとしたのなら
富永のこの時点での消耗が
苛烈であったことを思うばかりです

それにしても
「悪魔の伯父さん」と
季節の秋を
擬人化するなんて
フランス象徴詩の技でしょうか
レトリックを自分のものにしてしまう
詩人の貪欲を感じさせますし
ああ
若くて元気だった詩人がここにいる、と
感激しないではいられません

秋の悲歎  富永太郎

 私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。
 私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の顎に、私は千の静かな接吻を惜しみはしない。今はあの銅(あかゞね)色の空を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあの白痰を掻き乱してくれるな。
 私は炊煙の立ち騰る都会を夢みはしない――土瀝青(チヤン)色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都会などを。今年はみんな松茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたのだらうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の習ひであつた……
 夕暮、私は立ち去つたかの女の残像と友である。天の方に立ち騰るかの女の胸の襞を、夢のやうに萎れたかの女の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の中に挿し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた、あの全能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつてしまつたのだらうか? 私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空気を憎まうか?
 繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相(フイジオグノミー)をさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ――金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市(いち)にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。
(「現代詩文庫 富永太郎詩集(思潮社)」より)

 *
 秋の愁嘆

あゝ、 秋が来た
眼に琺瑯(はふらう)の涙沁む。
あゝ、 秋が来た
胸に舞踏の終らぬうちに
もうまた秋が、おぢやつたおぢやつた。
野辺を 野辺を 畑を 町を
人達を蹂躪(じゆうりん)に秋がおぢやつた。

その着る着物は寒冷紗(かんれいしや)
両手の先には 軽く冷い銀の玉
薄い横皺(よこじわ)平らなお顔で
笑へば籾殻(もみがら)かしやかしやと、
へちまのやうにかすかすの
悪魔の伯父さん、おぢやつたおぢやつた。
           (一九二五・一〇・七)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 ※原作には、「かしやかしや」と「へちま」には傍点「、」が付されていますが、ここでは省略しました。(編者)

Senpuki04
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