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« 草稿詩篇1925―1928<1> 退屈の中の肉親的恐怖 | トップページ | 草稿詩篇1925-1928<2-2>或る心の一季節 »

2010年8月 1日 (日)

草稿詩篇1925―1928<2> 或る心の一季節

「或る心の一季節」は
現存する詩篇の中で
上京後に作られた初の作品であり
中原中也全作品の中で初の散文詩でもあり
色々な意味で
背景を豊富にもつ詩です

中でも
詩人が上京する意志を固めた理由の
最も大きかった一つに
富永太郎との交友があり
この詩そのものにも
富永太郎を通じて知った
フランス象徴詩の影響や
富永太郎その人の作品の影響が
随所に見られるのですから

富永太郎の物語を
ここで
すこしでもひもといておかなくては
中原中也の物語を
前に進むことができません

まず
中原中也の年譜の
1924年と1925年の項を見て
二人の詩人の物語のアウトラインを
つかんでおくことからはじめましょう

大正13年(1924) 17歳

4月、立命館中学第4学年に進級。
この月、北区大将軍西町椿寺南裏に転居。立命館中学講師 冨倉徳次
郎を知る。
同月、長谷川泰子と同棲を始める。「ノート1924」の使用を開始。
このころ、正岡忠三郎を知る。
7月、正岡の紹介で京都に来た詩人富永太郎を知る。「彼より仏国詩人
等の存在学ぶ」(「詩的履歴書」)。
10月、このころ、富永太郎の下宿近くに転居。以後頻繁に往来。この年、
ダダイズムの詩や、小説、戯曲の習作がある。
秋、「詩の宣言」を執筆。
11月、富永の村井康男宛書簡に「ダダイストとのDegoutに満ちたamitie
に淫して四十日を徒費した」との言及があり、このころから二人の関係は悪
くなっていく。
12月、富永太郎帰京。

大正14年(1925) 18歳

3月10日、長谷川泰子とともに上京。戸塚に下宿。早稲田高等学院、日
本大学予科を受験する予定だったが、受験日に遅刻するなどして受けられ
なかった。その後帰省して、東京で予備校に通う許可を得る。
4月、富永太郎の紹介で小林秀雄を知る。
5月、小林の家の近く、高円寺に転居。
10月、「秋の愁嘆」を書く。
11月、泰子、小林のもとへ去る。中也は中野に転居。しかし、その後も中
也・小林・泰子の「奇妙な三角関係」(小林秀雄)は続く。
この年の暮か翌年初めごろ、宮沢賢治の詩集「春と修羅」を購入、以後愛
読書となる。

1924年7月に
京都で二人が知り合って以来
富永太郎は
中原中也の行動を突き動かす
動機のような存在であった
ということが見えるでしょうか

中原中也という詩人は
自身の詩作に有益な知人ができると
その知人の住む近くに住居を移し
毎日毎夜
その知人の住まいを襲っては
「骨までしゃぶる」ように交友を深める
という流儀を実践したことで知られていますが
この頃、
その相手は富永太郎でした

中原中也の炯眼(けいがん)は
富永太郎に出会って
ランボーやベルレーヌや
ボードレールやラフォルグを知って
そして、彼の作った詩「秋の悲歎」に出会って
金か銀か
何か地下鉱脈を突いたような衝撃
地下鉱脈を突いた
という感触を得るのに敏感でした

ここで
富永太郎の詩を読んでみるのは
自然の成り行きというものでしょうから
長い詩ですが
「秋の悲歎」を引いておきます

秋の悲歎  富永太郎

 私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。
 私はたゞ微かに煙を挙げる私のパイプによつてのみ生きる。あの、ほつそりとした白陶土製のかの女の顎に、私は千の静かな接吻を惜しみはしない。今はあの銅(あかゞね)色の空を蓋ふ公孫樹の葉の、光沢のない非道な存在をも赦さう。オールドローズのおかつぱさんは埃も立てずに土塀に沿つて行くのだが、もうそんな後姿も要りはしない。風よ、街上に光るあの白痰を掻き乱してくれるな。
 私は炊煙の立ち騰る都会を夢みはしない――土瀝青(チヤン)色の疲れた空に炊煙の立ち騰る都会などを。今年はみんな松茸を食つたかしら、私は知らない。多分柿ぐらゐは食へたのだらうか、それも知らない。黒猫と共に坐る残虐が常に私の習ひであつた……
 夕暮、私は立ち去つたかの女の残像と友である。天の方に立ち騰るかの女の胸の襞を、夢のやうに萎れたかの女の肩の襞を私は昔のやうにいとほしむ。だが、かの女の髪の中に挿し入つた私の指は、昔私の心の支へであつた、あの全能の暗黒の粘状体に触れることがない。私たちは煙になつてしまつたのだらうか? 私はあまりに硬い、あまりに透明な秋の空気を憎まうか?
 繁みの中に坐らう。枝々の鋭角の黒みから生れ出る、かの「虚無」の性相(フイジオグノミー)をさへ点検しないで済む怖ろしい怠惰が、今私には許されてある。今は降り行くべき時だ――金属や蜘蛛の巣や瞳孔の栄える、あらゆる悲惨の市(いち)にまで。私には舵は要らない。街燈に薄光るあの枯芝生の斜面に身を委せよう。それといつも変らぬ角度を保つ、錫箔のやうな池の水面を愛しよう……私は私自身を救助しよう。

(「現代詩文庫 富永太郎詩集(思潮社)」より)

(つづく)

 *
 或る心の一季節
     ――散文詩

 最早、あらゆるものが目を覚ました、黎明(れいめい)は来た。私の中に住む幾多のフエアリー達は、朝露の傍では草の葉つぱのすがすがしい線を描いた。
 私は過去の夢を訝(いぶか)しげな眼で見返る………何故(ナニユエ)に夢であつたかはまだ知らない。其処(そこ)に安座した大饒舌で漸(ようや)く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出だす。だが次の瞬間に、私の心ははや、懐しみを棄てゝ慈しみに変つてゐる。これは如何(どう)したことだ?………けれども、私の心に今は残像に過ぎない、大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔、整頓を知らぬ口角、樺色の勝負部屋……それ等の上にも、幸ひあれ!幸ひあれ!
 併(しか)し此の願ひは、卑屈な生活の中では「あゝ昇天は私に涙である」といふ、計らない、素気なき呟(つぶやき)きとなつて出て来るのみだ。それは何故か?

 私の過去の環境が、私に強請した誤れる持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得てゐる。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛(びらん)の病床に来ては呉(く)れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸(うめ)きは今や美(うる)はしく強き血漿であるに、その最も親はしき友にも了解されずにゐる。………
 私はそれが苦しい。――「私は過去の夢を訝しげな眼で見返る………何故(ナニユエ)に夢であつたかはまだ知らない。其所に安座した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出す」――さればこそ私は恥辱を忘れることによつての自由を求めた。
 友よ、それを徒らな天真爛漫と見過(みあやま)るな。
 だが、その自由の不快を、私は私の唯一つの仕事である散歩を、終日した後、やがてのこと己が机の前に帰つて来、夜の一点を囲ふ生暖き部屋に、投げ出された自分の手足を見懸ける時に、泌々(しみじみ)知る。掛け置いた私の置時計の一秒々々の音に、茫然耳をかしながら私は私の過去の要求の買ひ集めた書物の重なりに目を呉れる、又私の燈に向つて瞼を見据える。
 間もなく、疲労が軽く意識され始めるや、私は今日一日の巫戯(ふざ)けた自分の行蹟の数々が、赤面と後悔を伴つて私の心に蘇るのを感ずる。――まあ其処(そこ)にある俺は、哄笑(こうしょう)と落胆との取留なき混交の放射体ではなかつたか!――だが併し、私のした私らしくない事も如何にか私の意図したことになつてるのは不思議だ………「私の過去の環境が、私に強請した誤れる私の持物は、釈放さるべきアルコールの朝の海を昨日得てゐる。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に来ては呉れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸きは今や美はしく強き血漿であるに、その最も親はしき友にも了解されずにゐる」………さうだ、焦点の明確でないこと以外に、私は私に欠点を見出すことはもう出来ない。

 私は友を訪れることを避けた。そして砂埃の立ち上がり巻き返る広場の縁(フチ)をすぐつて歩いた。
 今日もそれをした。そして今もう夜中が来てゐる。終列車を当てに停車場の待合室にチヨコンと坐つてゐる自分自身である。此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待つてゐるやうに思へる――

 私は夜、眠いリノリュームの、停車場の待合室では、沸き返る一抱きの蒸気釜を要求した。

 ※原作には、各所に傍点「、」が付されていますが、ここでは省略しています。(編者)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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