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2010年8月 4日 (水)

草稿詩篇1925-1928<2-2>或る心の一季節

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富永太郎によって
フランス象徴詩の存在を知り
富永太郎の詩によって
ダダイズム以外に詩の道があることを知って
中原中也は
自身の実作の方向転換を試みようとしたことに
違いはありません

立命館中学4年に進級した直後の
1924年4月
講師だった冨倉徳次郎を知り
冨倉を通じて正岡忠三郎を知り
正岡を通じて7月には富永太郎を知る
偶然のようでありながら
中原中也の詩塊が
その希求の強度ゆえに
必然的に探り当てていった鉱脈……

長谷川泰子との同棲もはじめて
10月には
富永太郎の下宿近くへ
泰子ともども転居します
中也の下宿には
富永も足を運び
頻繁な往来が集中的に行われましたが
富永は、この間のことを振り返って
11月には
村井康男に宛てた書簡に
「ダダイストとのDegoutに満ちたamitie
に淫して四十日を徒費した」
と記すのです

Degout(デグゥ)はフランス語で
不快とか嫌悪
Amitie(アミティエ)は同じく
友情とか友好関係という意味です
富永は
中也とのわずか5か月のうちの
その40日間の激越な交友を
「Degoutに満ちたamitieに淫して四十日」と
京大の学友に報告せざるを得なかったのです

中也のほうでは
後年
「ゆきてかへらぬ 京都」(「在りし日の歌」)の中で

名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。

などと歌ったり
「断片」(1936年11月中旬制作推定)では

十二年前の恰度(ちょうど)今夜
その男と火鉢を囲んで煙草を吸つてゐた
その煙草が今夜は私独りで吸つてゐるゴールデンバットで、
ゴールデンバットと私とは猶(なお)存続してるに
あの男だけゐないといふのだから不思議でたまらぬ

などと歌ったりしています

また、
富永太郎は
中原中也と知り合って約1年半後の
翌1925年11月に亡くなってしまうのですが
この時
中也は
追悼文「夭折した富永」を
「山繭」(1926年11月号)に寄せ

友人の目にも、俗人の目にも、ともに大人しい人といふ印象を与へて、富永は逝つた。そしてそれが、全てを語るやうだ。

などと記し
富永への不快感を表明することはありませんでした

少年時代に
神童と呼ばれた中原中也です
人一倍、勉強する人でしたし
富永太郎から学んだものの大きさは
後になっても
忘れることはなかったはずですから
多少は批判がましいことをも
追悼文の中に記しましたが
それも抑制の利いたものになっていますし
京都時代を振り返った「ゆきてかへらぬ」に
「希望は胸に高鳴つてゐた。」と歌ったのも
心底、そう感じていたからでありましょう

「或る心の一季節」は
富永太郎の影響が
多々見られる作品ではありますが
しかし
これは中也の詩であることを
感覚を研ぎ澄まして
読まないことには
この詩を読んだことにはなりません

そのような眼(まなざし)を
失わないで
冒頭行の

 最早、あらゆるものが目を覚ました、黎明(れいめい)は来た。私の中に住む幾多のフエアリー達は、朝露の傍では草の葉つぱのすがすがしい線を描いた。

と、
「秋の悲歎」の冒頭行

 私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる。戦慄は去つた。道路のあらゆる直線が甦る。あれらのこんもりとした貪婪な樹々さへも闇を招いてはゐない。

を読んでみれば
この二つの詩は
似ているようで
全く異なる詩であることは
誰が読んでも分ることです
というか
「或る心の一季節」の私は
中原中也でしかなく
ほかの誰でもありません

あえて言えば
ダダイスト中也が
尻尾(しっぽ)を隠しきらずに
あちこちに登場しますし

 だが、その自由の不快を、私は私の唯一つの仕事である散歩を、終日した後、やがてのこと己が机の前に帰つて来、夜の一点を囲ふ生暖き部屋に、投げ出された自分の手足を見懸ける時に、泌々(しみじみ)知る。掛け置いた私の置時計の一秒々々の音に、茫然耳をかしながら私は私の過去の要求の買ひ集めた書物の重なりに目を呉れる、又私の燈に向つて瞼を見据える。

という詩句の中には
当たり前のことですが
包み隠しもしない
中原中也という詩人がいるだけです

 *
 或る心の一季節
     ――散文詩

 最早、あらゆるものが目を覚ました、黎明(れいめい)は来た。私の中に住む幾多のフエアリー達は、朝露の傍では草の葉つぱのすがすがしい線を描いた。
 私は過去の夢を訝(いぶか)しげな眼で見返る………何故(ナニユエ)に夢であつたかはまだ知らない。其処(そこ)に安座した大饒舌で漸(ようや)く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出だす。だが次の瞬間に、私の心ははや、懐しみを棄てゝ慈しみに変つてゐる。これは如何(どう)したことだ?………けれども、私の心に今は残像に過ぎない、大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔、整頓を知らぬ口角、樺色の勝負部屋……それ等の上にも、幸ひあれ!幸ひあれ!
 併(しか)し此の願ひは、卑屈な生活の中では「あゝ昇天は私に涙である」といふ、計らない、素気なき呟(つぶやき)きとなつて出て来るのみだ。それは何故か?

 私の過去の環境が、私に強請した誤れる持物は、釈放さるべきアルコールの朝(アシタ)の海を昨日得てゐる。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛(びらん)の病床に来ては呉(く)れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸(うめ)きは今や美(うる)はしく強き血漿であるに、その最も親はしき友にも了解されずにゐる。………
 私はそれが苦しい。――「私は過去の夢を訝しげな眼で見返る………何故(ナニユエ)に夢であつたかはまだ知らない。其所に安座した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懐しみを以て心より胸にと汲み出す」――さればこそ私は恥辱を忘れることによつての自由を求めた。
 友よ、それを徒らな天真爛漫と見過(みあやま)るな。
 だが、その自由の不快を、私は私の唯一つの仕事である散歩を、終日した後、やがてのこと己が机の前に帰つて来、夜の一点を囲ふ生暖き部屋に、投げ出された自分の手足を見懸ける時に、泌々(しみじみ)知る。掛け置いた私の置時計の一秒々々の音に、茫然耳をかしながら私は私の過去の要求の買ひ集めた書物の重なりに目を呉れる、又私の燈に向つて瞼を見据える。
 間もなく、疲労が軽く意識され始めるや、私は今日一日の巫戯(ふざ)けた自分の行蹟の数々が、赤面と後悔を伴つて私の心に蘇るのを感ずる。――まあ其処(そこ)にある俺は、哄笑(こうしょう)と落胆との取留なき混交の放射体ではなかつたか!――だが併し、私のした私らしくない事も如何にか私の意図したことになつてるのは不思議だ………「私の過去の環境が、私に強請した誤れる私の持物は、釈放さるべきアルコールの朝の海を昨日得てゐる。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に来ては呉れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸きは今や美はしく強き血漿であるに、その最も親はしき友にも了解されずにゐる」………さうだ、焦点の明確でないこと以外に、私は私に欠点を見出すことはもう出来ない。

 私は友を訪れることを避けた。そして砂埃の立ち上がり巻き返る広場の縁(フチ)をすぐつて歩いた。
 今日もそれをした。そして今もう夜中が来てゐる。終列車を当てに停車場の待合室にチヨコンと坐つてゐる自分自身である。此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待つてゐるやうに思へる――

 私は夜、眠いリノリュームの、停車場の待合室では、沸き返る一抱きの蒸気釜を要求した。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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