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2010年9月 4日 (土)

草稿詩篇1925-1928<19> 間奏曲

「間奏曲」は
昭和3年(1928年)春の制作(推定)です
春とされるのは
詩の中に「春の祭」とあるからです

この祭は
都会の祭でしょうか
そうならば
都会の街の春の祭とは
銀座あたりの
商店街の売り出しのような祭でしょうか
そうではなくて
釈迦の生誕を祭る花祭りの類でしょうか
近くの神社で行われた節句の祭りでしょうか

色々想像できますが
やはり
その前に

私は自然を扱いひます、けれども非常にアルティフィシェルにです。それで象
徴は所を得ます。それで模写ではなく歌です。

と、昭和3年1月(推定)に
河上徹太郎宛の書簡の中に
書かれた詩人の創作方法論を
思い出しながら読めば
どこの祭りのことかなどという疑問は
吹っ飛んでしまうのかもしれません

この詩では
降りはじめた雨が幼児の顔に落ちた
とい事象がまずあり(第1連)

それが
百合の花のような少女の瞼の縁(ふち)に
露の玉が現れた
という別のイメージに変化し(第2連)

さらには
一歩引いたところに視点を移して
春祭りでにぎわう街に
空から石が降ってきたので
人々が逃げまどっている!
という街の描写に転じます(第3連)

これらは
幼児の顔の上に
雨がポタッと一つ落ちた
という情景のシンボリックな転移です
同じことの
異なる表現です

ことによると
春祭りの街に「雨」が降ってきた
という事象が
先に存在したのかもしれません

第3連のように
空から石が降ってくる
というようなことは
自然現象というより何かの事故ですから
普通には起こらないことで
ここでは雨が石に変化していることが明らかです

自然現象としては
雨が降っただけのことで
その雨が
いとけない子の顔に当たった
それはまるで
美しい少女の瞼のふちから
露の玉が出てきたようだ

それはまた
祭りでにぎわう街に
石でも降ってきたようで
人々は逃げ惑うように雨を避けた
というように
想像の中でのバリエーションになっていきます

「雨」という自然現象の
描写にはじまり
その描写は
自然の単なる模写ではなく
シンボライズされた自然へと
変形されるのです

幼児の顔に雨が落ちる
というイメージは
どこか
「汚れつちまつた悲しみに……」に
似ていると思いませんか

特に
前半の2連

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

小雪→風→狐の革裘(かはごろも)と
展開するイメージの流れと
似ていると思いませんか
この流れは
いとけない顔→百合の少女→春の祭の街
という流れと構造が同じなのです

 *
 間奏曲

いとけない顔のうへに、
降りはじめの雨が、ぽたつと落ちた……

百合の少女(をとめ)の眼瞼(まぶた)の縁に、
露の玉が一つ、あらはれた……

春の祭の街(まち)の上に空から石が降つて来た
人がみんなとび退(の)いた!

いとけない顔の上に、
雨が一つ、落ちた……

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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