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« ノート小年時(1928―1930) <3>寒い夜の自我像 | トップページ | ノート小年時(1928―1930) <5>雪が降ってゐる…… »

2010年9月12日 (日)

ノート小年時(1928―1930) <4>冷酷の歌

「冷酷の歌」は
昭和4年(1929年)1月20日~2月18日制作と推定される作品
「ノート小年時」中の
「寒い夜の自我像」の制作が1月20日で
「雪が降つてゐる……」の制作が2月18日で
この二つの詩の間のページに書かれていることから
両日の間に書かれたものと推定されています

「白痴群」は
まだ創刊されていませんが
その準備に明け暮れていた頃です

音楽集団「スルヤ」の人々との交流とは異なって
「白痴群」は文学集団ですから
詩人の主戦場です
それゆえの厳しさが
それゆえの満足感とともに
はねかえってきたに違いのない場でした

酒場での談論風発が
時には激越に過ぎて
口論に発展することもあったことでしょう
口論ならまだしも
取っ組み合いの喧嘩になったようなこともあったようです

「ノート小年時」に書かれた
「冷酷の歌」の草稿には
鉛筆によって推敲された跡があり
同じように
「ノート小年時」の中に
鉛筆で推敲された草稿を探すと
「雪が降つてゐる……」
「追懐」
「夏の海」があり
さらに「ノート小年時」とは
異なるノートである「早大ノート」の冒頭の
「酒場にて」初稿が
鉛筆で書かれていることから
「冷酷の歌」と「酒場にて」は
同時期の制作の可能性を想定されるのですが
断定できるまでの確証は見つかりません

とはいうものの
「酒場にて」の
初稿(昭和11年9月末~10月1日制作推定)も
定稿(昭和11年10月1日制作定)も
その内容が
「冷酷の歌」と類似する部分が多いため
三つの詩を参照しながら読むと
味わいは深まるかもしれません

「酒場にて」は
かつて
「詩の外観と詩人の内部」(2009年5月22日)
「詩人論が生まれる」(2009年5月24日)の
題で読みましたが
ここで再び目を通しておきます

 *
 冷酷の歌

  1

ああ、神よ、罪とは冷酷のことでございました。
泣きわめいてゐる心のそばで、
買物を夢みてゐるあの裕福な売笑婦達は、
罪でございます、罪以外の何者でもございません。

そしてそれが恰度(ちやうど)私に似てをります、
貪婪(どんらん)の限りに夢をみながら
一番分りのいい俗な瀟洒(しようしや)の中を泳ぎながら、
今にも天に昇りさうな、枠(わく)のやうな胸で思ひあがつてをります。

伸びたいだけ伸(の)んで、拡がりたいだけ拡がつて、
恰度紫の朝顔の花かなんぞのやうに、
朝は露に沾(うるほ)ひ、朝日のもとに笑(ゑみ)をひろげ、

夕は泣くのでございます、獣のやうに。
獣のやうに嗜慾(しよく)のうごめくまゝにうごいて、
その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じながら。

  2

絶えざる呵責(かしやく)といふものが、それが
どんなに辛いものかが分るか?

おまへの愚かな精力が尽きるまで、
恐らくそれはおまへに分りはしない。

けれどもいづれおまへにも分る時は来るわけなのだが、
その時に辛からうよ、おまへ、辛からうよ、

絶えざる呵責といふものが、それが
どんなに辛いか、もう既(すで)に辛い私を

おまへ、見るがいい、よく見るがいい、
ろくろく笑へもしない私を見るがいい!

  3

人には自分を紛らはす力があるので、
人はまづみんな幸福さうに見えるのだが、

人には早晩紛らはせない悲しみがくるのだ。
悲しみが自分で、自分が悲しみの時がくるのだ。

長い懶(ものう)い、それかといつて自滅することも出来ない、
さういふ惨(いたま)しい時が来るのだ。

悲しみ執(しつ)ツ固(こ)くてなほも悲しみ尽さうとするから、
悲しみに入つたら最後休(や)むときがない!

理由がどうであれ、人がなんと謂(い)へ、
悲しみが自分であり、自分が悲しみとなつた時、

人は思ひだすだらう、その白けた面の上に
涙と微笑とを浮べながら、聖人たちの古い言葉を。

そして今猶(なほ)走り廻る若者達を見る時に、
忌(いま)はしくも忌はしい気持に浸ることだらう、

嗚呼!その時に、人よ苦しいよ、絶えいるばかり、
人よ、苦しいよ、絶えいるばかり……

  4

夕暮が来て、空気が冷える、
物音が微妙にいりまじつて、しかもその一つ一つが聞える。
お茶を注ぐ、煙草を吹かす、薬鑵(やくわん)が物憂い唸りをあげる。
床や壁や柱が目に入る、そしてそれだけだ、それだけだ。

神様、これが私の只今でございます。
薔薇(ばら)と金毛とは、もはや煙のやうに空にゆきました。

いいえ、もはやそれのあつたことさへが信じきれないで、
私は疑ひぶかくなりました。

萎(しを)れた葱(ねぎ)か韮(にら)のやうに、ああ神様、
私は疑ひのために死ぬるでございませう。

 *
 酒場にて(初稿)

今晩ああして元気に語り合つてゐる人々も、
実は元気ではないのです。

諸君は僕を「ほがらか」でないといふ。
然(しか)し、そんな定規みたいな「ほがらか」は棄て給へ。

ほんとのほがらかは、
悲しい時に悲しいだけ悲しんでゐられることでこそあれ。

さて、諸君の或(ある)者は僕の書いた物を見ていふ、
「あんな泣き面で書けるものかねえ?」

が、冗談ぢやない、
僕は僕が書くやうに生きてゐたのだ。

 *
 酒場にて(定稿)

今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
実は、元気ではないのです。

近代(いま)といふ今は尠(すくな)くとも、
あんな具合な元気さで
ゐられる時代(とき)ではないのです。

ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?

されば今晩かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
輝き出でる時もある。

さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねぇ、
不思議みたいなもんだねえ」。

が、冗談やない、
僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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