ノート小年時(1928―1930) <13>追懷
さうしてあなたは私を別れた、
あの日に、おお、あの日に!
曇つて風ある日だつたその日は。その日以来、
もはやあなたは私のものではないのでした。
「追懐」は
第5連、第6連で
長谷川泰子が
小林秀雄のもとへと去った日を
まず、あの日、
次に、その日、と歌い
もはや過去のことながら
あなたが今頃笑つてゐるかどうか、
などと思い出してしまう
私=詩人の現在を歌います
もちろん詩に
個人名は現れません
あなたが泰子で
人が小林で
私(わたし)が中原中也であることは
だれもが想像できることですが
内容がリアル過ぎたためか
作品は当時
発表されませんでした
現在このようにして
この詩が読めるということが
著作権とか
時効であるとか
公人であることからとか
法律方面から説明されるようですが
実際は
角川版新旧全集に「未発表詩篇」が
編集されたからにほかなりません
個人情報とか
プライバシーとか
というよりも
文学作品としての価値が認められ
いはば公共財として
だれにも読める状態になりました
中原中也=長谷川泰子=小林秀雄の三角関係は
稀有(けう)のようでありながら
ありふれたことでもあり
その意味で
三角関係の一つの原型を提示していますから
多くの人がこぞって
その物語を紐解こうともするのです
昭和4年(1929年)7月14日の制作
ということは
あの日、大正14年(1925年)11月から
3年8か月が経過しています
この頃
詩人と小林は絶交状態にあり
泰子と詩人は京都に旅行する関係にありました
小林が泰子と別れたのは
昭和3年(1928年)5月のことです
この頃詩人は
同人誌とはいえ自らの裁量がきく「白痴群」に
泰子を歌った恋愛詩
「詩友に」(創刊号、後の「無題」第3節)
「盲目の秋」(第6号)
「時こそ今は……」(同)
などを
次々に発表するのです
*
追懷
あなたは私を愛し、
私はあなたを愛した。
あなたはしつかりしてをり、
わたしは真面目であつた。――
人にはそれが、嫉(ねた)ましかつたのです、多分、
そしてそれを、偸(ぬす)まうとかゝつたのだ。
嫉み羨(うらや)みから出発したくどきに、あなたは乗つたのでした、
――何故でせう?――何かの拍子……
さうしてあなたは私を別れた、
あの日に、おお、あの日に!
曇つて風ある日だつたその日は。その日以来、
もはやあなたは私のものではないのでした。
私は此処(ここ)にゐます、黄色い灯影に、
あなたが今頃笑つてゐるかどうか、――いや、ともすればそんなこと、想つてゐたりするのです
(一九二九・七・一四)
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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