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2010年9月29日 (水)

ノート翻訳詩1933年<2>(土を見るがいい)

(土を見るがいい)は
(僕の夢は破れて、其処に血を流した)と
(卓子に、俯いてする夢想にも倦きると)ともに
同じインク、同じ筆跡であることから
連続して書かれたと推定され
昭和8年(1933年)5月―8月制作と
推定される作品です

このころ
詩人が住んでいたのは
荏原郡馬込町北千束621淵江方で
淵江は
前年1932年(昭和7年)末に知り合った
年下の詩人・高森文夫の伯母の姓です

このころの詩人の活動を
年譜でたどっておきます

昭和7年(1932年) 25歳

4月、「山羊の歌」の編集を始める。
5月頃から自宅でフランス語の個人教授を始める。
6月、「山羊の歌」予約募集の通知を出し、10名程の申し込みがあった。
7月に第2回の予約募集を行うが結果は変わらなかった。
8月、宮崎の高森文夫宅へ行き、高森とともに青島、天草、長崎へ旅行する。この後、馬込町北千の高森文夫の伯母の淵江方に転居。高森とその弟の淳夫が同居。
9月、祖母スエ(フクの実母)が死去、74歳。母からもらった300円で「山羊の歌」の印刷にかかるが、本文を印刷しただけで資金が続かず、印刷し終えた本文と紙型を安原喜弘に預ける。
12月、「ゴッホ」(玉川大学出版部)を刊行。著者名義は安原喜弘。
このころ、高森の伯母を通じて酒場ウィンゾアーの女給洋子(坂本睦子)に結婚を申し込むが断られる。
このころ、神経衰弱が極限に達する。高森の伯母が心配して年末フクに手紙を出す。

「白痴群」の僚友・安原喜弘が
「魂の最大の惑乱時代がやがて始まる」
と記すのは
昭和7年8月23日付け中也発安原宛の書簡への
コメントの中においてであります

昭和8年(1933年) 26歳

3月、東京外国語学校専修科仏語修了。
4月、「山羊の歌」を芝書店に持ち込むが断られる。
5月、牧野信一、坂口安吾の紹介で同人雑誌「紀元」に加わる。
6月、「春の日の夕暮」を「半仙戯」に発表。同誌に翻訳などの発表続く。
7月、「帰郷」他2篇を「四季」に発表。
同月、読売新聞の懸賞小説「東京祭」に応募したが落選。
9月頃、江川書房から「山羊の歌」を刊行する予定だったが実現しなかった。
同月、「紀元」創刊号に「凄まじき黄昏」「秋」。以降定期的に詩、翻訳を同誌に発表。
12月、遠縁の上野孝子と結婚(結婚式は湯田温泉の西村屋旅館)。四谷の花園アパートに新居を構える。同アパートには青山二郎が住んでいた。青山の部屋には小林秀雄・河上徹太郎ら文学仲間が集まり、「青山学院」と称された。
同月、三笠書房より『ランボオ詩集(学校時代の詩)』を刊行。

「魂の最大の惑乱時代」は
旺盛な詩人としての活動と
ウラハラのようでした。
年末には
突然のように
結婚します。

(土を見るがいい)に登場する葱は
葱畑に生育する葱で
昭和8年当時
東京にも農家があり
農家でなくとも
民家の路地には
葱を栽培する風景が見られたはずです

その葱の揺れ方は赤ン坊の脛(はぎ)に似てゐる。

は、「葱坊主(ねぎぼうず)」からの連想ではなく
詩人の独創らしいのですが
葱の揺れ方が
赤ン坊の脛=赤ん坊のふくらはぎに似ているとは
絶妙です
ステロタイプな表現への
繊細な否定が
ここにあります

1連6行の2連の作品は
小品のうちに入るでしょうが
ピリリとひきしまった
緊張感がただよって
名品です

 *
 (土を見るがいい)

土を見るがいい、
土は水を含むで黒く
のつかつてる石ころだけは夜目にも白く、
風は吹き、頸に寒く
風は吹き、雨雲を呼び、
にぢられた草にはつらく、

風は吹き、樹の葉をそよぎ
風は吹き、黒々と吹き
葱(ねぎ)はすつぽりと立つてゐる
その葱を吹き、
その葱の揺れ方は赤ン坊の脛(はぎ)に似てゐる。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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