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2010年9月 5日 (日)

ノート小年時(1928―1930)を読む前に

「ノート小年時」とは
中原中也が詩の清書用に使っていたノートで
表表紙(おもてびょうし)に
詩人の手で「小年時」と記され
その回りが菱形の罫線で飾られてあることから
そう呼んでいるもので
全部で16篇の詩が
このノートに残されました

詩人が
このノートのタイトルを「小年時」と
アルチュール・ランボーの
散文詩「少年時」(Enfance)にヒントを得てつけたのは
単なる偶然ではなく
「運命的で必然的」といえるような出会いがあったからで
さまざまなエピソードが伝わっています

そもそも
後に「山羊の歌」中に
「少年時」という章題をもつ
第2章が設けられているのは
だれでもが知っていることでしょうが
「山羊の歌」の編集は
昭和7年4月―6月のことですから
「ノート小年時」の最後の詩「湖上」が制作されてから
2年後のことになります

中原中也が
ランボーの名を初めて知ったのは
京都時代に
正岡忠三郎や冨倉徳次郎や
とりわけ富永太郎との交友をはじめてからでしょうか
上京して
太郎を介して知った小林秀雄ら
東大仏文科の学生に
ランボーを知らない者は
多くはありませんでしたし……

昭和3年ごろには
中原中也と大岡昇平は
ランボーの「少年時」を
共同で訳そうとしたことがあったと
大岡昇平は記憶していますし……

大正14年後半には
鈴木信太郎訳「近代仏蘭西象徴詩抄」に収められた
ランボーの「少年時」を
原稿用紙7枚に筆写していますし……

目を丸くしたり
輝かせかせたり
ランボーに取り組んだ詩人の姿が
彷彿(ほうふつ)としてきます

ノートは
昭和2年(1927年)から
使われはじめたことが推定されていますが
詩篇としては
昭和3年(1928年)12月18日制作の「女よ」が最も古く
昭和5年(1930年)6月15日制作の「湖上」が最新です

ノートの使用の最古は
昭和2年にさかのぼることができ
昭和5年以降も
詩人はこのノートを開いては
発表のために推敲を加えたり
後の詩集発行のために
作品にチェックを入れたりしていますが
新全集編集では
詩篇の制作日を基準にして
このノートを案内する場合には
「ノート小年時」(1928年―1930年)と表記するのです

全部で
16篇の詩が記されていますが
そのうちわけは次の通りです

女よ
幼年囚の歌
寒い夜の自我像
冷酷の歌
雪が降つている……
身過ぎ
倦怠(倦怠の谷間に落つる)
夏は青い空に……
木蔭
夏の海
頌歌
消えし希望
追懐
夏(血を吐くやうな 倦うさ、たゆたさ)
夏と私
湖上

ここでは
「山羊の歌」中の「少年時」に
目を通しておきます
詩人はもろにランボーそのものです

 *
 少年時

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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