生前発表詩篇を読む続編 <15>詩人は辛い
「詩人は辛い」は
2009年5月26日 に
「詩人論の詩」の題で一度読みました
「現代と詩人」と
合わせて読んだもので
単純明快に
この詩は、詩人論の詩だ
と記しただけのものでした
そういう読みでいいのだと
今でも思いますが
詩人が
なぜ詩人論を歌わねばならなかったのか
なぜこの時に?という疑問が残るのは当然です
そこで状況ということが
視野に入ってくるのです
この詩は
「四季」の昭和10年11月号に発表され
制作は詩篇末尾にある通り
同年9月19日です
この制作日と同日の日記に
「詩を二篇作り一篇を四季に送る」とあって
もう1篇が
「山上のひととき」(未発表詩篇)であることが
分かっていますし
この「山上のひととき」に続けて
「四行詩(山に登つて風に吹かれた)」が制作されたことが
分かっていますから
これら3篇の詩は
似たような状況で書かれたと
想定できますが……
昭和10年の6月7日に
詩人は
四谷の花園アパートから
そう離れてはいない市ヶ谷谷町へ引っ越していまして
この引っ越しが
どうもいつもの引っ越しとは異なる感じがあるのです
新しい知人ができて
その人と深く交わりたくて
その人の住む近くに引っ越すというのと
この引っ越しは違う印象があるのですが
断言できる理由もありません
でも
そのことと
「詩人は辛い」を歌った動機とは
関係がありそうなので
印象ですが
とりあえず
そう記しておきます
2009年5月26日の読みも
そのあたりを書いているので
「現代と詩人」とともに
ここに再録しておきます
詩人論の詩/「詩人は辛い」「現代と詩人」
詩は、
その詩を歌った詩人が
どのように感じたり、
考えたりする詩人であるのかを
明らかにする
詩人論をたえず含むものでありますが、
詩は、
いつも、理解されなかったり、
同じく、詩人も、
理解されなかったりするもので、
冗談じゃないよ、と
ひとこと言いたくなることが
しばしばあるようです。
ひとことどころじゃなくて、
思いっきり言いたいときに
詩人論の詩ができます。
その意味で、
生前に発表された詩篇である
「詩人は辛い」と「現代と詩人」は、
「酒場にて」の流れの作品と
同じものと見ることができます。
この2作品は、
中原中也という詩人が、
世の中に向かって
思い切って
詩人の立場を宣言したものということになります。
◇
未発表詩篇の流れにも
いくつか
詩人論を歌った作品が
存在しているのです
*
詩人は辛い
私はもう歌なぞ歌はない
誰が歌なぞ歌ふものか
みんな歌なぞ聴いてはゐない
聴いてるやうなふりだけはする
みんなたゞ冷たい心を持つてゐて
歌なぞどうだつたつてかまはないのだ
それなのに聴いてるやうなふりはする
そして盛んに拍手を送る
拍手を送るからもう一つ歌はうとすると
もう沢山といつた顔
私はもう歌なぞ歌はない
こんな御都合な世の中に歌なぞ歌はない
― 一九三五・九・一九―
*
現代と詩人
何を読んでみても、何を聞いてみても、
もはや世の中の見定めはつかぬ。
私は詩を読み、詩を書くだけのことだ。
だつてそれだけが、私にとつては「充実」なのだから。
——そんなの古いよ、といふ人がある。
しかしさういふ人が格別新しいことをしてゐるわけでもなく、
それに、詩人は詩を書いてゐれば、
それは、それでいいのだと考ふべきものはある。
とはいへそれだけでは、自分でも何か物足りない。
その気持は今や、ひどく身近かに感じられるのだが、
さればといつてその正体が、シカと掴めたこともない。
私はそれを、好加減に推量したりはしまい。
それがハツキリ分る時まで、現に可能な「充実」にとどまらう。
それまで私は、此処を動くまい。それまで私は、此処を動かぬ。
2
われわれのゐる所は暗い、真ッ暗闇だ。
われわれはもはや希望を持つてはゐない、持たうがものはないのだ。
さて希望を失つた人間の考へが、どんなものだか君は知つてるか?
それははや考へとさへ謂(い)へない、ただゴミゴミとしたものなんだ。
私は古き代の、英国(イギリス)の春をかんがへる、春の訪れをかんがへる。
私は中世独逸(ドイツ)の、旅行の様子をかんがへる、旅行家の貌(かほ)をかんがへる。
私は十八世紀フランスの、文人同志の、田園の寓居への訪問をかんがへる。
さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据えられた食卓のことをかんがへる。
私は死んでいつた人々のことをかんがへる、——(嘗(かつ)ては彼等も地上にゐたんだ)。
私は私の小学時代のことをかんがへる、その校庭の、雨の日のことをかんがへる。
それらは、思ひ出した瞬間突嗟(とっさ)になつかしく、
しかし、あんまりすぐ消えてゆく。
今晩は、また雨だ。小笠原沖には、低気圧があるんださうな。
小笠原沖も、鹿児島半島も、行つたことがあるやうな気がする。
世界の何処(どこ)だつて、行つたことがあるやうな気がする。
地勢と産物くらゐを聞けば、何処だつてみんな分るやうな気がする。
さあさあ僕は、詩集を読まう。フランスの詩は、なかなかいいよ。
鋭敏で、確実で、親しみがあつて、とても、当今日本の雑誌の牽強附会(けんきょうふかい)の、陳列みたいなものぢやない。それで心の全部が充されぬまでも、
サツパリとした、カタルシスなら遂行されて、ほのぼのと、心の明るむ喜びはある。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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