生前発表詩篇を読む続編 <14>夏の明方(あけがた)年長妓(としま)が歌つた
「夏の明方(あけがた)年長妓(としま)が歌つた」は
「小竹の女主人」への献呈詩です
「小竹」とは
詩人なじみの「待合」の名で
東京・芝浦にあり
「文学界」の書き手や
花園アパートの青山二郎らとともに
利用しました
「ばばあ」は
そこの女将への親しみを込めた呼び方です
初出は
「文学界」の昭和10年9月号で
同年6月6日―7月の制作と推定されています
このころ詩人は日記に
朝食がすむと間もなく野田君遊びに来て夕方まで遊ぶ。夜は青山達と銀座に出で、ジルヴェスターにて「作品」の会の二次会に出くわす。それより芝浦に行く。没個性的な奴等。個性がないための一般向きが恰かも人格の力のやうな観を呈する所では、個性といふものは却て物質の如く侘しいものに見えるかも知れぬ。とまれ芸術家社会で、おしやべりが円滑に出来さへすれば重きをなすやうではともかくダラケたことだ。芸術が世間に呑まれてゐるとしたら、例へば羅針盤が運転手に方向を指示させられてゐるといふやうなものではないか。
世間が芸術の師である程なら、芸術とは無用の長物である。
などと記しています
(11月19日)
「それより芝浦に行く」の
芝浦に「小竹」はありました
銀座で飲んで
その後
芝浦へ行き
そこでまた飲み直し
芸者を呼んで遊んだのではなくて
文学論議の続きを延々としたということです
「山羊の歌」の出版元として有名な
野々上慶一は
「お竹」の女将について
「気風のいい人で、我儘勝手な連中を気楽に遊ばせてくれていました」
と回想しています
(「小林さんとの飲み食い五十年」)
小林秀雄
河上徹太郎
青山二郎
中村光夫
大岡昇平
井伏鱒二
三好達治らにまじって
詩人もその座の中にありました
野々上によれば
「いつも七、八人で卓を囲んで、飲んで議論ばかりしていて、揚句は勝手に雑魚寝などして」いたといいますから
詩人は
合間に女将と
冗談を言いあうこともあったのでしょう
なまなかな関係では
「ばばあ」と
なかなか呼べないものです
まるでキリガミ細工ぢやないか
は、詩人が
自嘲も込めて
「ばばあ」にも
まただれかれとなく
言い放ってやりたかった
鬱憤(うっぷん)だったのかもしれません
*
夏の明方(あけがた)年長妓(としま)が歌つた
――小竹の女主人(ばばあ)に捧ぐ
うたひ歩いた揚句の果は
空が白むだ、夏の暁(あけ)だよ
随分馬鹿にしてるわねえ
一切合切(いつさいがつさい)キリガミ細工
銹(さ)び付いたやうなところをみると
随分鉄分には富んでるとみえる
林にしたつて森にしたつて
みんな怖(お)づ怖づしがみついてる
夜露が下りてゐるとこなんぞ
だつてま、しほらしいぢやあないの
棄(す)てられた紙や板切れだつて
あんなに神妙、地面にへたばり
植えられたばかりの苗だつて
ずいぶんつましく風にゆらぐ
まるでこつちを見向きもしないで
あんまりいぢらしい小娘みたい
あれだつて都に連れて帰つて
みがきをかければなんとかならうに
左程々々(さうさう)こつちもかまつちやられない
――随分馬鹿にしてるわねえ
うたひ歩いた揚句の果は
空が白むで、夏の暁(あけ)だと
まるでキリガミ細工ぢやないか
昼間(ひるま)は毎日あんなに暑いに
まるでぺちやんこぢやあないか
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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