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2010年10月16日 (土)

生前発表詩篇を読む続編   <6>夏と私

「夏と私」は
「ノート小年時」に記された草稿が第一次形態で
昭和5年(1930年)10月1日発行の
「桐の花」第15号に発表された作品が第二次形態で
制作は
第一次形態の末尾にあるとおり
昭和5年(1930年)6月14日です

ただし
発表された第二次形態では
(一九三〇・六・一四)の日付は
削除されたほか
第5連に「……」が追加され
茫然としぬ、……涙しぬ。
とした訂正が加えられています

この詩を制作したころ
彫刻家・高田博厚がフランスに発ち
詩人は少なからぬ衝撃を受けました
自身も
フランス行きの願望を強くしたのです
それで
「来し方」を振り返ると
悔いの残る日々の堆積に
茫然……涙も出てきます

「ノート小年時」で
一度読んだところを
ここで読み返しておきます
(以下、再録)

血を吐くやうな、倦うさ、たゆけさ
と歌ってから
ほぼ1年が過ぎて
また夏が訪れましたが
「夏と私」は
初夏の歌です

真ッ白い嘆かひのうちに、
海を見たり。鷗(かもめ)を見たり。

という
しょっぱなから

血を吐くような倦怠(=けだい)とは
異なる夏
真ッ白い嘆かひ(=嘆き)の中にある詩人は
海の空を飛ぶ
かもめに自分を見ます

1年経ったからといって
悲しみが遠のいたというのではなく
鏡の中の自分を見るように
少しだけ距離をおいて
眺めやることができるようになっただけで
海にかもめが飛ぶのを見るうちに
深い溜息が出てくるのを止められません

かもめは高所から急降下し
また舞い上がり
旋回し
風の中を飛んでいて
それはさながら
詩人の脳裏を
思い出の破片が旋回するのと
シンクロするのです

夏のことで
振り向けば
後ろの高い山にも
純白の嘆き
ずっと変らない高山を見て
溜息が洩れてきます

詩人は
太陽を浴びて燃える山の道を登ってゆき
頂上の風に吹かれます

(海から山へ移動する感覚!)

山の上で風に吹かれていると
自ずと
来し方(こしかた)が思われ
涙茫々……

未だ何もできていない
悔いばかり果てのないその心は
母に伝えたこともなく
友の誰一人にも明かしたことはありません

「しかすがに」は
「とはいうものの」の意味

とはいえ
望むだけで
手をこまねいて
その大きな望みに圧倒されている私です

望みは大きくて
手をこまねいているばかりの自分を見る
今年もまた夏がめぐってきて
そうした自分を見るのです
何もしてこなかった自分……

ああ
僕も
フランスへ行きたい

 *
 夏と私

真ッ白い嘆かひのうちに、
海を見たり。鷗(かもめ)を見たり。

高きより、風のただ中に、
思ひ出の破片の翻転するを見たり。

夏としなれば、高山に、
真ッ白い嘆きを見たり。

燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。

風に吹かれつ、わが来し方に、
茫然としぬ、……涙しぬ。

はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。

しかすがにのぞみのみにて、
拱(こまぬ)きて、そがのぞみに圧倒さるる、

わが身を見たり、夏としなれば、
そのやうなわが身をみたり。
      
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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