生前発表詩篇を読む続編 <7>ピチベの哲学・再
「ピチベの哲学」は
「紀元」昭和9年(1934年)2月号(昭和9年2月1日発行)に
発表された作品
昭和8年12月13日―下旬の制作と推定されているのは
中原中也が
山口の湯田温泉で結婚式をあげた後
昭和8年12月13日に妻・孝子と上京し
四谷・花園アパートに新居をもった日以後に書かれ
詩内容も
結婚について歌われているという理由からです
上京後に作成されたもの
と考えられていますから
新宿・花園アパートでの暮しを
はじめた中での制作ということになります
1度「ダダのデザイン」<10>で読みましたが
そのときは「ダダ詩」のテーマの影になって
結婚について
触れませんでした
詩内容というよりも
表現方法としてのダダに目を向けたため
結婚を通り過ぎてしまいました
詩人は
自らの結婚について
多くを語っていませんから
この詩が
結婚のあいさつみたいな位置にあるのなら
特別な意味があります
詩友・安原喜弘宛の昭和8年11月10日付書簡に
僕女房貰ふことにしましたので 何かと雑用があり 来ていただくことが出来ません 上京は来年半ば頃になるだらうと思ひます
と記したのが
最初で最後のはずです
傍目には
突然のように見えた結婚ですから
詩人は
結婚について何がしかのことを
歌う要請を感じたのかもしれませんし
歌う欲求もあったかもしれません
古代ローマ帝国の一兵士の名か何か
古代ギリシアの哲学者の名か何か
太宰治の「走れメロス」の主人公のような名か
フランス語の文献のどこかから引っ張り出した
物語のヒーローであるかもしれませんが
だれそれと特定できない
ピチベの口を借りて
しかも
煙(けむ)に巻くように
意味不明の呪文みたいなのを織り交ぜて
俺
月
お姫様
チャールストン
美しい
これらの「喩」を使って
詩人が表明した哲学とは
言い換えれば
詩人論
詩論への展開のはずです
新しい生活のはじまりに
詩人は
新しい思想を
見出したかのように
「ピチベの哲学」を歌い
孝子との新生活を
寿(ことほ)ぎました
*
ピチベの哲学
チヨンザイチヨンザイピーフービー
俺は愁(かな)しいのだよ。
――あの月の中にはな、
色蒼ざめたお姫様がゐて……
それがチャールストンを踊つてゐるのだ。
けれどもそれは見えないので、
それで月は、あのやうに静かなのさ。
チヨンザイチヨンザイピーフービー
チャールストンといふのはとてもあのお姫様が踊るやふな踊りではないけれども、
そこがまた月の世界の神秘であつて、
却々(なかなか)六ヶ敷(むつかし)いところさ。
チヨンザイチヨンザイピーフービー
だがまたとつくと見てゐるうちには、
それがさうだと分つても来るさ。
迅(はや)いといへば迅い、緩(おそ)いといへば緩(おそ)いテムポで、
ああしてお姫様が踊つてゐられるからこそ、
月はあやしくも美しいのである。
真珠のやうに美しいのである。
チヨンザイチヨンザイピーフービー
ゆるやかなものがゆるやかだと思ふのは間違つてゐるぞォ。
さて俺は落付かう、なんてな、
さういふのが間違つてゐるぞォ。
イライラしてゐる時にはイライラ、
のんびりしてゐる時にはのんびり、
あのお月様の中のお姫様のやうに、
なんにも考へずに絶えずもう踊つてゐれあ
それがハタから見れあ美しいのさ。
チヨンザイチヨンザイピーフービー
真珠のやうに美しいのさ。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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