生前発表詩篇を読む続編 <24>現代と詩人
「現代と詩人」は
昭和11年(1936年)12月1日付け発行の
「作品」12月号に発表された
同年10月制作(推定)の作品です
このころの日記を
読んでおきましょう
10月8日
草野に誘われて高村氏訪問。そこへ尾崎喜八現れ4人で葛飾区柴又にゆく。尾崎という男はチョコチョコする男。草野は又妙な奴。甚だ面白くなかった。
10月10日
終日ラヂオにて野球とチルデン対ヴァインズの庭球を聴く。名人というものはしなやかで、それでいてセンチメンタルでないものだ。けれどもそこの所の味を、観衆中の1パーセントが理解したかどうかは甚だ疑問である。(原文のヴァインズのヴァはワに濁点。)
くせのないということは、難のない平凡ということではないのだ。
10月11日
拾郎戸塚の方の下宿に越す。
コンスタンのアドルフ読みぬ秋の暮
みの虫がかぜに吹かれてをれりけり
かくして秋は深まれりけり
10月15日
朝起きたらば、とにかくその日の前半を読書に、後半を書くことにきめた。朝から書こうとしていると、書けない日は遂に読書も出来ない。
恐らく右の掟は、あらゆる創造的な性質の人間に有益なことであろう。
拾郎が遊びに来た。今日から1週間休校の由。今度の下宿も亦ぢきに変りたくなったと云っていた。退屈しているんだ。
環境について文句を云ってればきりがないぞ。
10月18日
文也の誕生日。雨天なので、動物園行きをやめる。
フランソワ・コッペの「悲哀の娘」を読了。
10月30日
先達から読んだ本。リッケルトの「認識の対象」。コフマンの「世界人類史物語」。「三富朽葉全集」。「パスカル随想録(抄訳)」。「小林秀雄文学読本」。「深淵の諸相」。「芭蕉の紀行」少し。
いよいよ今日からまた語学に入る。来春からはフランスの詩集が自在に読めるように、神に祈る。次第に、詩一天張に勉強していればよいという気持になる。
モツアルト、ヴァイオリン・コンチェルト第5番イ長調をラヂオで聴いて感銘す。
もうもう誰が何と云っても振向かぬこと。詩だけでもすることは多過ぎるのだ。
22日以来外出せず。坊やでも大きくなったら、もっと映画でも見るべし。
詩に全身挙げて精進するものなきは寧ろ妙なことなり。斯くも二律背反的なものを容易に扱えると思えるは、愚鈍の極みというべきだ。
語学をやらねばならぬ。このことだけが大切なり。
※現代仮名遣いに改めたほか、漢数字を洋数字に直すなどの書き換えをしてあります。編者。
以上
昭和11年(1936年)10月の日記を
角川新全集第5巻「日記・書簡」から
すべて引用してみました
11月3日は
晴。午後阿部六郎訪問。夕刻より渋谷に出て飲む。渋谷で飲んだのは多分昭和5年以来のことだ。だいぶ変わっている。
と続き
ずっと読み続けたい気分になりますが
ここでは打ち切って
このころの社会や
世界情勢に
目を向けておきます
この年の2月に
帝国陸軍の将校による「反乱」
2.26事件が起こりました
ドイツではヒトラーのナチスが台頭
3月には非武装地帯ライン川左岸へ侵攻します
7月には
スペイン内戦が勃発
8月には
「前畑ガンバレ」のアナウンスで有名な
ベルリン五輪が開かれています
同月、日本陸軍に
後の「731部隊」である
関東軍防疫給水部本部が組織されます
ソ連では
9月ごろから
スターリンによる粛清が
本格化しました
アメリカでは
11月に
フランクリン・ルーズベルトが
大統領選で再選されます
詩人の近くでは
交流のあった作家・牧野信一が
生地小田原で自殺したのが
3月24日です
先に案内した
中原中也の詩「秋を呼ぶ雨」が発表された
文芸懇話会が発足したのは
1934年でした
2.26事件は
この事件が単独に起こったものでなく
1932年の5.15事件などの流れが
必然的に誘発したものであるように
文芸懇話会も
文学芸術の領域における
思想統制の流れの必然でした
この流れは
15年戦争という
大きな歴史の中において把握すべき
歴史認識の問題ですが
文学芸術のいとなみは
やがて
1940年の大政翼賛会
1942年の文学報国会などと
戦争の渦の中に巻き込まれてゆきます
詩人・中原中也も
こうした時代の大きなうねりの中に
生きていて
「いやなムード」を敏感に
感じ取っていました
「現代と詩人」は
戦争へ戦争へと
突き進んでゆく時勢を
明確に意識した感性を歌ったものであるとは
だれもいわない詩ですが
だれもそういわないことのほうに
この詩人への無理解が
集中的に表現されている
とひとこと言っておきたい作品です
そのように
無理解にさらされている
詩の一つです
*
現代と詩人
何を読んでみても、何を聞いてみても、
もはや世の中の見定めはつかぬ。
私は詩を読み、詩を書くだけのことだ。
だつてそれだけが、私にとつては「充実」なのだから。
——そんなの古いよ、といふ人がある。
しかしさういふ人が格別新しいことをしてゐるわけでもなく、
それに、詩人は詩を書いてゐれば、
それは、それでいいのだと考ふべきものはある。
とはいへそれだけでは、自分でも何か物足りない。
その気持は今や、ひどく身近かに感じられるのだが、
さればといつてその正体が、シカと掴めたこともない。
私はそれを、好加減に推量したりはしまい。
それがハツキリ分る時まで、現に可能な「充実」にとどまらう。
それまで私は、此処を動くまい。それまで私は、此処を動かぬ。
2
われわれのゐる所は暗い、真ッ暗闇だ。
われわれはもはや希望を持つてはゐない、持たうがものはないのだ。
さて希望を失つた人間の考へが、どんなものだか君は知つてるか?
それははや考へとさへ謂(い)へない、ただゴミゴミとしたものなんだ。
私は古き代の、英国(イギリス)の春をかんがへる、春の訪れをかんがへる。
私は中世独逸(ドイツ)の、旅行の様子をかんがへる、旅行家の貌(かほ)をかんがへる。
私は十八世紀フランスの、文人同志の、田園の寓居への訪問をかんがへる。
さんさんと降りそそぐ陽光の中で、戸口に近く据えられた食卓のことをかんがへる。
私は死んでいつた人々のことをかんがへる、——(嘗(かつ)ては彼等も地上にゐたんだ)。
私は私の小学時代のことをかんがへる、その校庭の、雨の日のことをかんがへる。
それらは、思ひ出した瞬間突嗟(とっさ)になつかしく、
しかし、あんまりすぐ消えてゆく。
今晩は、また雨だ。小笠原沖には、低気圧があるんださうな。
小笠原沖も、鹿児島半島も、行つたことがあるやうな気がする。
世界の何処(どこ)だつて、行つたことがあるやうな気がする。
地勢と産物くらゐを聞けば、何処だつてみんな分るやうな気がする。
さあさあ僕は、詩集を読まう。フランスの詩は、なかなかいいよ。
鋭敏で、確実で、親しみがあつて、とても、当今日本の雑誌の牽強附会の、陳列みた
いなものぢやない。それで心の全部が充されぬまでも、サツパリとした、カタルシ
スなら遂行されて、ほのぼのと、心の明るむ喜びはある。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)
« 生前発表詩篇を読む続編 <23>漂々と口笛吹いて | トップページ | 生前発表詩篇を読む続編 <25>郵便局 »
「031中原中也/生前発表詩篇」カテゴリの記事
- 生前発表詩篇を読む続編 <40>夏日静閑(2010.12.05)
- 生前発表詩篇を読む続編 <39>初夏の夜に(2010.12.04)
- 生前発表詩篇を読む続編 <38>夏(僕は卓子の上に)(2010.12.02)
- 生前発表詩篇を読む続編 <37>道化の臨終(Etude Dadaistique)(2010.12.01)
- 生前発表詩篇を読む続編 <36>梅雨と弟(2010.11.30)
コメント