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2010年11月29日 (月)

生前発表詩篇を読む続編   <35>渓流

「渓流」は
「都新聞」の昭和12年7月18日付け第1面に発表された
同年(1937年)7月15日制作の作品です

同紙第1面に「日曜詩」と題した企画欄があり
そこに掲載されたものですが
この欄に並んで
菊岡久利の評論「詩の動向とその半年表(二) 詩人十数氏の業績に就いて」があり
中で菊岡は

中原中也氏がいい詩をたくさん書いたけれども、愛児を失った断腸の歌であるために、われわれ友人は詩ばかり感心するわけにゆかず真に同情した

などと記していることが
新編全集第1巻「詩Ⅰ解題篇」に案内されています

詩篇末尾に
(一九三七・七・一五)とあることから
制作日は特定されていますが
近いところで3日前に
「夏と悲運」(未発表詩篇)が
同年(1937年)7月12日に制作されていますから
詩人の心境を知る
多少の手がかりになるかもしれません

「夏と悲運」は
とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。
思へば小学校の頃からだ。
例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー、
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。
格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑しいといふのではない、
起立して、先生の後から歌ふ生徒等が、可笑しいといふのでもない、
それどころか俺は大体、此の世に笑ふべきものが存在(ある)とは思つてもゐなかつた。
それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない、
すると先生は、俺を廊下に出して立たせるのだ。
俺は風のよく通る廊下で、淋しい思ひをしたもんだ。
俺としてからが、どう解釈のしやうもなかつた。
別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、
然(しか)し先生がカンカンになつてゐることも事実だつたし、
先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬことも事実だつたし、
俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。
大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と游離してゐるやうに感じだす。
すると俺としたことが、もう何もする気も起らない。
格別俺は人生が、どうのかうのと云ふのではない。
理想派でも虚無派でもあるわけではとんとない。
孤高を以て任じてゐるなぞといふのでは尚更(なおさら)ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
どうしてそれがさうなのか、ほんとの話が、俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。
                      (一九三七・七)

という詩ですが
これを作った3日後に
「渓流」は歌われました

このころの日記を
読んでおきます
文章の量が少なく
日付も飛び飛びの日記です

(7月1日) Jeudi
 田村重治著「中世欧州文学史」読了。

(7月2日) Vendredi
坊や二百日目
深田訪問。
高原来訪。

(7月4日) Diamanche
関口訪問。

(7月23日) 牧水紀行文集読了。

7月の日記は
これですべてです
4日間しかつけなかったのは
日常生活が忙しかったからでしょうか

「渓流」は
7月4日から23日の間に作られました
この間に
創作の時間の多くが割かれたのでしょうか

この間に
近辺の渓谷へ
遊んだのでしょうか

「夏と悲運」で
自身の悲運の原体験となった
小学校の唱歌の授業風景を思い出して
不覚にも笑ってしまった詩人が
渓流で冷やしたビールを
むさぼり飲んでいる詩人に
姿を変えます

2008年10月19日に
読んだ鑑賞記を
再録しておきます

渓流/悲しいビール

ここで、「生前発表詩篇」から
「渓流」を読んでおきます。
「たにがわ」と訓読みで読ませる意図が
詩人にはありました。

1937年(昭和12年)7月15日に作られ、
同7月18日付け「都新聞」に発表された作品です。
長男文也を前年11月10日に亡くし
半年以上の月日が流れました。
中也は、この頃、帰郷の意志を固め、
「在りし日の歌」原稿を小林秀雄に託すのは、9月です。
10月に発病、同月末に死亡する詩人です。

なんとも美しい響きの作品で、
多くのファンが、この詩を
一番だ! と支持する声が聞こえてきます。
現代詩壇を牽引した一人
鮎川信夫も、
この詩には参っています。

青春のやうに悲しかつた。
と、中原中也以外のだれが歌っても
違和感を感じるような……。
なかなか、こうは、歌えません

この、泣き入るやうに飲んだ。 なんて詩句は
ビールの1杯目を飲むときの
誰しもが抱く快感のリアリズムそのものです。
だから、誰にも、歌えそうですけれど……。
青春のやうに悲しかつた。 という詩句とともに、
やっぱり、誰にも、歌えません。
もし歌ったら、
テレビCMのキャッチコピーだなんて
言われてしまいそうです。

だから、
やはり、この詩が、よいのは、
最終連。

最終連があるから、
1、2、3連が生きている
中原中也の詩になっているから
よいのです。

これが
「三歳の記憶」を歌った詩人と
同じ詩人の作品です。

中也は、
実に様々な経験を積み
実に様々な詩を書いたのです。
一本調子を辿る
日本現代詩史の源流に
滔々(とうとう)と流れる多旋律を刻んだのです。

 *
 渓流

渓流(たにがわ)で冷やされたビールは、
青春のやうに悲しかつた。
峰を仰いで僕は、
泣き入るやうに飲んだ。

ビショビショに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、
青春のやうに悲しかつた。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云つた。
僕も実は、さう云つたのだが。

湿つた苔も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかつた。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流(たにがわ)の中で冷やされてゐた。

水を透かして瓶の肌へをみてゐると、
僕はもう、この上歩きたいなぞとは思はなかつた。
独り失敬して、宿に行つて、
女中(ねえさん)と話をした。
    (一九三七・七・一五)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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