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2010年11月30日 (火)

生前発表詩篇を読む続編   <36>梅雨と弟

「梅雨と弟」は
「少女の友」の昭和12年8月号(同年8月1日付け発行)に発表された作品で
第一次形態と第二次形態があります

第一次形態は草稿として現存し
「梅雨二題」の題の詩篇の第2節にあたります
「梅雨二題」は
「少女と雨」と「梅雨と弟」で構成され
「梅雨と弟」が
「少女の友」の昭和12年8月号に発表されました

「少女と雨」は
同誌9月号に発表される予定だったものが
何かの事情で発表されず
したがって
生前未発表となりましたが
詩人没後に
「文学界」の中原中也追悼号(昭和12年12月)に
第二次形態が発表されました
(「少女と雨」はしたがって「未発表詩篇」に分類されます)

「梅雨と弟」の第一次形態
すなわち「梅雨二題」第2節は
昭和12年(1937年)の5月―6月の
制作と推定されていますから
「少女と雨」も
同時期の制作ということになります

「梅雨と弟」に現れる弟は
詩人の亡くなった弟
一人は
大正4年に死んだ次男の亜郎
一人は
昭和6年に死んだ三男の恰三が
すぐさまイメージされ
二人それぞれを回想している詩と
解釈するのは字義通りですので
いっこうにおかしくはありませんが

弟の死の上に
昨年(昭和11年)11月10日に亡くなった
長男文也のイメージが重ねられていると
受け取るのもまったく自然なことです

ならば
追悼というよりも
文也の死を
詩人は
作意(虚構)の中にとらえたということであり
「距離をおいて」
見ることができるようになったということになります

この詩の視点は
少女であるあたしにあり
詩人はあたしに託して
弟=長男・文也の思い出を歌っている
ということになります

(参考のために「少女と雨」も載せておきます)

 *
 梅雨と弟

毎日々々雨が降ります
去年の今頃梅の実を持って遊んだ弟は
去年の秋に亡くなつて
今年の梅雨(つゆ)にはゐませんのです

お母さまが おつしやいました
また今年も梅酒をこさはうね
そしたらまた来年の夏も飲物があるからね
あたしはお答へしませんでした
弟のことを思ひ出してゐましたので

去年梅酒をこしらふ時には
あたしがお手伝ひしてゐますと
弟が来て梅を放(つ)たり随分と邪魔をしました
あたしはにらんでやりましたが
あんなことをしなければよかつたと
今ではそれを悔んでをります……

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 *
 少女と雨
少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは
其処(そこ)は花畑があつて菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

菖蒲の花は雨に打たれて
音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはゐませんでした

しとしとと雨はあとからあとから降つて
花も葉も畑の土ももう諦めきつてゐます

その有様をジツと見てると
なんとも不思議な気がして来ます

山も校舎も空の下(もと)に
やがてしづかな回転をはじめ

花畑を除く一切のものは
みんなとつくに終つてしまつた 夢のやうな気がしてきます

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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