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2010年11月25日 (木)

生前発表詩篇を読む続編   <32>ひからびた心

「ひからびた心」は
「文芸懇話会」の昭和12年4月号に発表された
昭和12年(1937年)3月16日制作の作品です

昭和12年3月16日の日記に
「文芸懇話会に原稿発送」とあることから
制作日が推定されたものですが
この日付が
中村古峡療養所を退院した日である
同年2月15日より後であり
四谷・市ヶ谷から鎌倉へ引っ越した
2月27日よりも後であることに心引かれます

長男・文也の死以降に
各誌へ発表した詩のほとんどが
旧作の改稿だったところ
この「ひからびた心」は
どうやら新作書き起こしらしいということが
分かってきたからです

「道修山夜曲」のように
最近発見された作品で
それが
新作書き起こしであったことが
最近になってわかったというケースもありますが
「ひからびた心」は
新作であるというその上に
文也の死に直接触れている内容を持つ点で
耳目をそばだてずにはいられないものがあります

つまり
単なる新作書き下ろしなのではありません

そもそも
中村古峡療養所へ入院を余儀なくされたのは
長男・文也の突然の死が原因でしたし
このころ各誌に発表していた作品が
新作ではなく
旧作を改めたものだった理由も
文也死亡の衝撃からでした

その衝撃のために
詩人は
詩を新たに創り出すエネルギーを
失っていたとさへいえる状態でしたが
いま、ここに
新作を作り
その中で
文也の死を歌おうと試みたのでした

はじめ

ひからびたおれの心は
そこに小鳥がきて啼き
其処(そこ)に小鳥が巣を作り
卵を生むに適してゐた


文也は
小鳥として
詩人に現れて

ひからびた詩人の心を
なぐさめるものとして
存在し

……

やがては
無の中に飛んでいって
そこで
案外安楽に暮せるかもしれない
と夢想するのは
詩人です

無の中に飛んでいく
とは
死ぬということ

自ら死ぬ
自殺するということを
意味しています

ここのところは
「春日狂想」の冒頭行の
「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません」
につながっています

「春日狂想」は
「ひからびた心」が作られて
1週間後の3月23日に
作られました

 *
 ひからびた心

ひからびたおれの心は
そこに小鳥がきて啼き
其処(そこ)に小鳥が巣を作り
卵を生むに適してゐた

ひからびたおれの心は
小さなものの心の動きと
握ればつぶれてしまひさうなものの動きを
掌(てのひら)に感じてゐる必要があつた

ひからびたおれの心は
贅沢(ぜいたく)にもそのやうなものを要求し
贅沢にもそのやうなものを所持したために
小さきものにはまことすまないと思ふのであつた

ひからびたおれの心は
それゆゑに何はさて謙譲であり
小さきものをいとほしみいとほしみ
むしろその暴戻(ぼうれい)を快いこととするのであつた

そして私はえたいの知れない悲しみの日を味つたのだが
小さきものはやがて大きくなり
自分の幼時を忘れてしまひ
大きなものは次第に老いて

やがて死にゆくものであるから
季節は移りかはりゆくから
ひからびたおれの心は
ひからびた上にもひからびていつて

ひからびてひからびてひからびてひからびて
――いつそ干割(ひわ)れてしまへたら
無の中へ飛び行つて
そこで案外安楽に暮せらるのかも知れぬと思つた

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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