生前発表詩篇を読む続編 <29>或る夜の幻想(1・3)
「或る夜の幻想(1・3)」は
「四季」の昭和12年3月号(同年2月20日付け発行)に発表された
昭和8年(1933年)10月10日制作の作品です
と案内すると
妙にすっきりしますが
この詩の来歴は
少し複雑なものをもっていますので
簡単に
それを説明してみますと
はじめは
短詩6篇を連作に仕立てた
6節構成の詩「或る夜の幻想」が
作られました
それが
昭和8年10月10日の制作日を
末尾にもつ
第一次形態です
この第一次形態の詩の
第2節「村の時計」と
第4―6節「或る男の肖像」は
「在りし日の歌」に収録されますが
第1節と第3節は
「四季」発表後に
ほかのどこにも発表されなかったのです
という事情で
第一次形態が発表されている
「四季」昭和12年3月号の作品は
生前発表詩篇ということになりますが
この詩篇から
「村の時計」と「或る男の肖像」を除いた
「或る夜の幻想」は
「或る夜の幻想(1・3)」として
「生前発表詩篇」に掲出するのが
角川全集の考え方なのです
となれば
「或る夜の幻想」は
「四季」に
生前発表されたにもかかわらず
「或る夜の幻想」の第3節と第4節だけを
「或る夜の幻想(3・4)」として掲出するということになり
「或る夜の幻想」という作品は
「四季」の中にしか存在しないことになります
「或る夜の幻想(1・3)」という詩篇は
そういう来歴の詩篇です
と、この詩の来歴をひも解いたところで
なんの面白みもありませんが
この詩のように
短詩を連作構成で作ったり
作り直したり
散文詩を作ったり
作り直したりと
これまでにない詩の作り方を実践するのは
昭和11年後期に集中していることで
このことがなんらか
長男・文也の死の影響が感じられるという点です
新全集が明らかにしている
短詩連作や散文詩は
「ゆきてかへらぬ」(未定稿)
「散文詩四篇」として発表された
「郵便局」
「幻想」
「かなしみ」
「北沢風景」
の「四季」発表作品ほかに
「文学界」へ載せた連作形式の「詩三篇」
「また来ん春……」
「月の光」
「月の光 その二」
です
以上のうち
「文学界」発表の「詩三篇」は
文也の死以後に作られたことが判然としているのですが
「或る夜の幻想(1・3)」の末尾
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあつた。
といふフレーズの
物騒といえば物騒な
シュールといえばシュールな
不気味であり
滑稽であり
狂気を含んだ終わり方は
明らかに
お庭の隅の草叢に
隠れてゐるのは死んだ児だ
(「月の光」)
や
森の中では死んだ子が
蛍のやうに蹲んでる
(「月の光 その二」)
など
一連の晩年作へと
つながっているようです
(参考に第一次形態も載せておきます)
*
或る夜の幻想(1・3)
1 彼女の部屋
彼女には
美しい洋服箪笥(ようふくだんす)があつた
その箪笥は
かはたれどきの色をしてゐた
彼女には
書物や
其(そ)の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた
それで洋服箪笥の中は
本でいつぱいだつた
3 彼 女
野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳(そび)えてゐた。
或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。
それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりで
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあつた。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
*
「或る夜の幻想」
1 彼女の部屋
彼女には
美しい洋服箪笥があつた
その箪笥は
かはたれどきの色をしてゐた
彼女には
書物や
其(そ)の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた
それで洋服箪笥の中は
本でいつぱいだつた
2 村の時計
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた
その字板のペンキは、
もう艶が消えてゐた
近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた
それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた
字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか、
僕にも、誰にも分からなかつた
3 彼 女
野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳(そび)えてゐた。
或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。
それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりで
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあつた。
4 或る男の肖像
洋行帰りのその洒落者は、
齢をとつても髪にはポマードをつけてゐた。
夜毎喫茶店にあらはれて、
其処の主人と話してゐる様はあはれげであつた。
死んだと聞いては、
いつさうあはれであつた。
5 無題
――幻滅は鋼のいろ。
髪毛の艶と、ラムプの金との夕まぐれ、
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。
剃りたての、頸条も手頸も、
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。
読書も、しむみりした恋も、
暖かい、お茶も黄昏の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。
6 壁
彼女は
壁の中に這入つてしまつた
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いてゐた。
(一九三三・一〇・一〇)
(新編中原中也全集第1巻「詩Ⅰ解題篇」より)
ルビを省略してあります。編者。
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)
« 生前発表詩篇を読む続編 <28>北沢風景 | トップページ | 生前発表詩篇を読む続編 <30>聞こえぬ悲鳴 »
「031中原中也/生前発表詩篇」カテゴリの記事
- 生前発表詩篇を読む続編 <40>夏日静閑(2010.12.05)
- 生前発表詩篇を読む続編 <39>初夏の夜に(2010.12.04)
- 生前発表詩篇を読む続編 <38>夏(僕は卓子の上に)(2010.12.02)
- 生前発表詩篇を読む続編 <37>道化の臨終(Etude Dadaistique)(2010.12.01)
- 生前発表詩篇を読む続編 <36>梅雨と弟(2010.11.30)
コメント