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2010年11月23日 (火)

生前発表詩篇を読む続編   <30>聞こえぬ悲鳴

「聞こえぬ悲鳴」は
「改造」の昭和12年春季特大号(同年4月1日付け発行)に
初出した作品で
第一次形態と第二次形態が存在します

第一次形態は草稿で
第二次形態が「改造」発表の作品で
制作日は
どちらにも記載がありますが
第一次形態のほうが詳しく
月日の記載があることなどから
昭和10年(1935年)4月23日をとります
両者に内容の異同はありません

現存する草稿(つまり第一次形態)と
同じ原稿用紙を使って書かれた作品に
未発表詩篇「十二月の幻想」があり
いっぽう
昭和10年4月23日の日記に
「昨夜二時迄読書。それより二篇の詩を物し、終ること四時半」と
記されていることから
この「二篇」が
「聞こえぬ悲鳴」と
「十二月の幻想」であることが推定されています

この詩は
このような素性をもつものですが
このようなことを知った上で
これが発表された時点の
詩人の状況がどんなだったかに注目すると……

昭和12年4月1日付けを発行日とする「改造」は
印刷が同年3月18日とわかっていますから
逆算すれば
作品が送付されたのは
昭和12年2月中旬と推定されます

このころ
詩人は
千葉県にある中村古峡療養所で
1か月強にわたる入院生活を終えた直後でした

同じころ
「文学界」に発表された詩篇に
有名な「冬の長門峡」があり
これが2月16日から26日の間に
旧稿を改めて「文学界」へ
送付されたことがわかっていますから
「聞こえぬ悲鳴」も
同じように
作り置きの作品を整えて
「改造」へ送ったものであろうと推定されています

詩人は
不本意な入院生活を余儀なくされ
入院中は
新規書き下ろしも禁止されている状態でしたし
1か月以上のブランクから
詩人活動を復旧するために
自主的な「リハビリ期間」を作ったようです

この期間に
旧作を整理したり
改稿したりして
コンディションを整えていたことを想像することができますし
そのことこそは
長男・文也の死の衝撃を
まともに受けていたことの反映でした

「聞こえぬ悲鳴」の内容が
療養所の体験を
直接に反映するものでなく
文也の死をストレートに
悼んだものでもないことは
確かなことですが

悲しい 夜更は 腐つた花弁(はなびら)——
   噛んでも 噛んでも 歯跡〈はあと〉もつかぬ
   それで いつまで 噛んではゐたら
   しらじらじらと 夜は明けた

と歌った悲しみは
これをはじめて歌った
昭和10年4月23日時点の悲しみとばかり限定されない
この時点
中村古峡療養所を退院した直後
昭和12年2月中旬ころ
詩人を襲っていた悲しみに
オーバーラップしている
ということができそうなのです

古い草稿をノートから引っ張り出し
そこに書かれた悲しみが
現在の悲しみに重なっていることを自覚しても
この悲しみは
よって来るところが異なるから
発表を控えるというようなことにはならないはずです

人の悲しみの声は
なんと
聞えないものか……

 *
 聞こえぬ悲鳴

悲しい 夜更が 訪れて
菫(すみれ)の 花が 腐れる 時に
神様 僕は 何を想出したらよいんでしよ?

痩せた 大きな 露西亜の婦(をんな)?
彼女の 手ですか? それとも横顔?
それとも ぼやけた フイルム ですか?
それとも前世紀の 海の夜明け?

あゝ 悲しい! 悲しい……
神様 あんまり これでは 悲しい
疲れ 疲れた 僕の心に……
いつたい 何が 想ひ出せましよ?

悲しい 夜更は 腐つた花弁(はなびら)——
   噛んでも 噛んでも 歯跡〈はあと〉もつかぬ
   それで いつまで 噛んではゐたら
   しらじらじらと 夜は明けた
                  —— 一九三五、四——

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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