ダダ詩「ノート1924」の世界<3>不可入性
「不可入性」は
フカニュウセイで
「入れない性質」という意味の造語でしょうか
よく使われる語句では
「不可侵」「不可侵性」が
近いかもしれません
「立ち入り禁止」とか「進入禁止」とか
そういう「性質」のものであるといいたいらしく
あらかじめそなわったものであることを
「性」を加えて示したかったらしい
男と女が
互いに「入ることのできないもの」を抱えていて
「入れない」状態になっている
「入れない」性質のものであることを示しているみたいです
付いていけない
入っていけない
深い溝があり
高い壁があり
……
不可解で
不可能で
不可思議で
不可触で
不可欠で
不可避で
……
不可入な
比較的長い詩で
くどいほど
ロジカルに
女について
男について
恋について
伝えようとしています
自分
感情
欲しい
好き
嫌い
明白
漠然
空想
現実
弁解
植物性
女の一生
取る
取るな
闘牛師
夫
夢
盲目
理窟
束縛
反省
別れる
ヒステリー
無縁の衆生
時間
音楽
空間
意志
浮気
空
壁
土
このように
詩を分解してしまえば
語句の使われている傾向が
一目瞭然となります
このように
分析するまでもなく
「 」でくくられた
会話体の部分は
実際に
中也と泰子が交わした
生の会話が
そのまま記録されているかのようで
大変にスリリングですし
この部分を読むだけで
「不可入性」ということの実態は
推察できてしまいますから
この詩のだいたいは
読んだことになりそうです
この会話体の結末の
「恋の世界で人間は
みんな
みんな
無縁の衆生となる」
に
詩人が
この時点で到達した恋愛観が
垣間見られるようですが
17歳での到達点でありますから
これがどのような変更を
以後迫られることになるのか
見守っていたいところです
*
不可入性
自分の感情に自分で作用される奴は
なんとまあ 伽藍なんだ
欲しくても
取つてはならぬ気もあります
好きと嫌ひで生きてゐる女には
一番明白なものが一番漠然たるものでした
空想は植物性です
女は空想なんです
女の一生は空想と現実との間隙(かんげき)の弁解で一杯です
取れといふ時は植物的な萎縮をし
取らなくても好いといへば煩悶し
取るなといへば闘牛師の夫を夢みます
それから次の日の夕方に何といひました
「あなたはあたしを理解して呉(く)れないからいや……」
それから男の返事は如何(どう)でした
「兎(と)に角(かく)俺には何にも分らないよ――もつとお前盲目になつて呉れ……」
「盲目になつて如何するの」
「お前は立場の立場を気付き過ぎる」
「あゝでもあなたこそ理窟をやめて、盲目におなんなさい」
「俺等の話は毎日同しことだ」
「もう変りますまいよ」
「そして出来あがつた話が何時までも消えずに、今後の生活を束縛するだらうよ。殊に女には今日の表現が明日の存在になるんだ。そしてヒステリーは現実よりも表現を名称を吟味したがるんだ。兎に角おまへを反省させた俺が悪かつた」
「だつてあなたにはあたしが反省するやうな話をしかけずにはゐられなかつたんです」
「默つてればよかつた」
「やつぱり何時かは別れることを日に日により意識しながら、もうそのあとは時間に賴むばかりです」
「恋の世界で人間は
みんな
みんな
無縁の衆生となる」
無縁の衆生も時間には運ばれる
音楽にでも泣きつき給へ
音楽は空間の世界だけのものだと僕は信じます
恋はその実音楽なんです
けれども時間を着けた音楽でした
これでも意志を叫ぶ奴がありますか!
だつて君そこに浮気があります
浮気は悲しい音楽をヒヨツと
忘れさせること度々です
空 空 空
やつぱり壁は土で造つたものでした。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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