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2011年1月

2011年1月18日 (火)

諸井三郎と中原中也の議論・吉田秀和さんの発言にふれて

 「97歳 音楽批評への挑戦 吉田さん『永遠の故郷』完結」と題する昨日1月17日朝日新聞朝刊文化面の記事は、署名入りの女性記者(吉田純子)によるものですが、核心にふれる部分で、中原中也が登場しています。

 

「チャイコフスキーの『舟歌』やマスネーの『エレジー』の節にのせて自作の詩を歌」ったという詩人の貴重なエピソードなどが紹介されており、全文が「Asahi com」で読めますからぜひ目を通しておきたい記事ですが、他に、作曲家の諸井三郎を「しばしば論破する中也」について語っているくだりがあって、中原中也と「スルヤ」との交渉がよみがえってくるきっかけになりました。

 

世田谷・北沢で詩人と共同生活をしたことのある年上の僚友・関口隆克が、文学界の「中原中也追悼号」(昭和12年12月1日発行)で「北沢時代以後」を寄せていますが、中に、諸井三郎と詩人が「烈しく議論を続け」たシーンが描かれています。

 

中原中也と関口隆克と石田五郎の3人による共同生活のはじまりを記す中で、諸井三郎が登場します。関口は諸井が連れてきた中原中也と初対面でしたが、諸井と詩人は関口の住まいにやってくる道すがら議論に熱中し、関口のところへ来ても、関口をおいてすぐに二人で外での散歩を続けて議論を続行した、ということが紹介されているのです。

 

そのくだりのさわり――。

 

(略)諸井三郎が見知らぬ客と這入って来た。それが中原であった。二人は途々何か話をして来たらしく、直ぐに烈しく議論を続け、手持無沙汰の僕に中原は懐中から原稿紙の束を出して渡し、まだ話し乍ら散歩に出て行った儘暫くは帰って来なかった。原稿紙には美しい筆跡で、後に「山羊の歌」の前の方に収められた詩の幾篇かが書いてあった。僕はそれらの詩の特異の美しさに驚嘆した。二人は戻って来た。(略)
(「文学界」同上号より。現代語に改めてあります。編者。)

 

吉田秀和さんは、中原中也と諸井三郎の議論を目撃したのだし、詩人が作曲家を「しばしば論破」したのを見たのです。もちろん、議論の勝敗が問題ではありません。

 

朝日の記事は「中也もトーマス・マンも、音楽の勉強をどうやったかなんて僕は知らない。だけど、本当に誰よりも音楽を知っていた」という、吉田さんのコメントで「中也」の項を結んでいます。

 

関口隆克も、先の「北沢時代以後」で、「中原中也の音楽」について、次のように記しています。

 

その頃諸井や内海は「スルヤ」という会をつくって、作曲を発表していたが、中原の「朝の歌」、「臨終」、「故郷」、「失せし希望」などに曲がついて、演奏会で幾度か長井維理氏が歌った。毎週一度皆は長井さんの邸に集って、稽古をしたり、色々な話をしたりしたが、中原もよくこれに出て、熱心に議論をしたり時には喧嘩をしたりした。又スルヤのパンフレットに論文を書いたこともあった。こうして出来た中原の歌の曲は、真剣な交感と深い了得の中に生れ、練習された、実に立派なものであった。こういう本物の歌曲が残されたことは、詩人として酬われることの薄いかに見えた中原の努力の正しい価値を示す、本当の意味の幸福と言わねばならぬ。

1月17日付 asahi.comより

◆97歳、音楽批評への挑戦 吉田秀和さん「永遠の故郷」完結
http://book.asahi.com/news/TKY201101170092.html

2011年1月17日 (月)

ダダ詩「ノート1924」の世界<8>倦怠に握られた男

何か面白いことないか
俺の目を楽しませてくれるものはないか
俺が生きているって
体の芯から感じられるような
激しく熱く歯ごたえのある
何か
ナニカ
……
もの
モノ
こと
コト

ココロ
思想
シソウ
精神
セイシン
……
なんでもいい

詩人は
足を棒にして
京都の街を歩きました

特定の場所を求めて
そこに向って歩くというのではなく
目的目標があるわけでなく
面白いことがあれば
立ち止まり
そこで
友だちをつくり
じいさんと知り合いになり
ばあさんと語り
食らい
飲み
街を眺め
行く人々を観察し
路次に分け入り
また
歩き出します

俺は、俺の脚だけはなして
脚だけ歩くのをみてゐよう――

棒になった
自分の足を
もてあまして
こんなふうに
倦んでいるにもかかわらず
歩くのは
歩くことが目的なのではないので
やめるわけにはいきません

詩に会うまでは
倦怠は道連れ
旅の友
……

とはいえ
京都の街並みは
灰色の
セメント菓子を噛まされるようで
ついつい
土気色気のある
風呂屋のある道をさまよい――

やがて
部屋に戻れば
流しには
茶碗や皿が喜んでいる
泰子との暮らしがあるというのに
俺はそこへすんなりとは入って行けないで
入口に突っ立っている

三和土の土だ

とは
セメント菓子に対する風呂屋
流し上の茶碗と皿に対する三和土の土
という対語で
セメント菓子も
流し上の茶碗と皿も
詩人がなじめないモノ
しっくりしないコト
詩人を疎外する世界を意味しているようです

うんざりするものであっても
歩くことが
詩人に
もっとも似つかわしく
だから
詩人は
「倦怠に握られた男」なのです

泰子との生活は
桃色というわけにはいきません

 *
 倦怠に握られた男

俺は、俺の脚だけはなして
脚だけ歩くのをみてゐよう――
灰色の、セメント菓子を噛みながら
風呂屋の多いみちをさまよへ――
流しの上で、茶碗と皿は喜ぶに
俺はかうまで三和土(タタキ)の土だ――

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年1月16日 (日)

ダダ詩「ノート1924」の世界<7>(あなたが生まれたその日に)

(あなたが生まれたその日に)は
題名がないことから
未完成作であることがわかる上に
「乱れた草書体で」記されていますから
早書きしなければならない
なんらかの理由があったことが
想像される詩です

想念に浮かんだ詩句が
消えてしまわないうちに
急いで書き留めたのか
外出中の路上で
歩きながら書きなぐったのか
何か他のことをしながら
書いたのか――
色々なシーンが
浮かんできます

「ノート1924」の
冒頭の作品「春の日の怒」から
「恋の懺悔」
「不可入性」
「天才が恋をすると」の4作品と同一の
細字用万年筆を持ち直して記されましたが
中字用万年筆に変えた
「風船玉の衝突」や「自滅」と
さほど隔たりのない日の
春の制作と推定されています

あなたは
やはり泰子のことで
泰子のほうが
僕より年上であるということを
どのような理由があったのかは不明ですが
認識する場面があったのでしょう

きっかけは
途中下車して
無効になった切符が
泰子の古い洋服のポケットから出てきて
そこに印字された年月日が
遠い日付であったために
泰子の誕生と詩人の誕生に
思いをめぐらせた――

というストーリーが見えてきますが
それほど
整った話ではないのかもしれません
まったく見当はずれなのかもしれません

ダダでもなく
ダダの片鱗もなく
詩人の日常をしのばせる
詩の断片ですが
ダダ詩に発展させるつもりがあったのかもしれません

切符が
詩人のものであったと想定しても
この未完の詩の読みは
この程度にとどめたほうがよさそうです

 *
 (あなたが生まれたその日に)

あなたが生まれたその日に
ぼくはまだ生まれてゐなかつた

途中下車して
無効になつた切符が
古洋服のカクシから出て来た時
恐らく僕は生まれた日といふもの

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年1月15日 (土)

ダダ詩「ノート1924」の世界<6>自滅

タイトルに「自滅」と付けられた理由が
見当もつかないところに
ダダイズムの詩は
真骨頂を現します

というのは
この詩
はじめから終わりまで
それぞれの行と
次の行のつながりは
おおよそ見当がつくのですが
最後の2行

土橋の上で胸打つた
ヒネモノだからおまけ致します

で、往生し
ここを突破出来れば
なるほど!と
拍手したくなる詩のようだからです

親の手紙が泡吹いた

は、親は、父・謙助か、母・フクか
なにやら
あきれ返って
怒るに怒れないで
泡を吹いている

恋は空みた肩揺つた
俺は灰色のステッキを呑んだ

は、俺達、つまり詩人と泰子は
空を仰いで
ふーっと溜め息でもついたか
肩を揺すって吹き出したかしたけれど
俺の心は冴えず灰色
親父のステッキを飲み込んじゃったように
体の中に親父のことが残っている

詩人は
詩人を溺愛した父親を
うとましく感じる一方
親思いの優しい心立てを失っていません

それでも
歩くのです
歩いたのです
歩くことをはじめたのです
詩人になる決意を
ひるがえすことは出来ません

胸のポケットに
一本の万年筆をさして
詩を書くための旅立ちです
電信柱よ
詩人様のお通りだい
お辞儀しろい

歩き疲れて
ハラペコになって
腹の肉がペチャンコになっちゃって
皮がカチャカチャいってるぜ
股下から右手が見えちゃってら

歩いて
歩いて
また
歩き
みんな下駄になってしまったよ

ふいごよ
ふいごよ
風を送れ
俺に口をきいてくれ

かくして
さしかかった土橋の上で
俺は
胸を打ったのさ
そいつあ
ちとばかり
ヒネモノだからさあ
おまけいたしますがな

(「ヒネモノ」は、古くなった物、売れ残った物の意味。転じて、大人びている、老成している、ませていることの意味でも使われます。)

土橋は
石の橋ではなく
木の橋でもなく
もっと原始的なイメージの橋でしょうか
そこで
詩人は
何事かに胸打たれる
経験をしたのでしょうか

それは
詩的体験のことでしょうか
詩そのもののことでしょうか
なんであれ
ヒネモノにつながっているようです

……

さて
自滅とは
なんでしょうか

深追いして
自滅しないほうがよさそうなので
退散退散

 *
 自滅

親の手紙が泡吹いた
恋は空みた肩揺つた
俺は灰色のステッキを呑んだ

足 足
  足 足
     足 足
         足

万年筆の徒歩旅行
電信棒よ御辞儀しろ
お腹(ナカ)の皮がカシヤカシヤする
胯(また)の下から右手みた

一切合切(いっさいがっさい)みんな下駄
フイゴよフイゴよ口をきけ
土橋の上で胸打つた
ヒネモノだからおまけ致します

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年1月12日 (水)

1月12日付 毎日新聞記事より

◆詩でよむ近代:中原中也 在りし日の歌--「本来の自己」を求めて
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110112ddm014040151000c.html

【ニュース】中原中也署名入り詩集公開へ

 山口市湯田温泉の中原中也記念館は8日から10日まで、市出身の詩人中原中也(1907~37年)の署名入りの詩集「山羊(やぎ)の歌」を特別公開する。岩国市ゆかりの文芸・音楽評論家河上徹太郎(1902~80年)の遺族から昨年12月に同館が寄託を受けた。

 山羊の歌は、中也が生前に刊行した唯一の詩集で、「サーカス」「汚れつちまつた悲しみに…」など44編を収めている。34年12月に200部を自費出版し、河上ら友人や、志賀直哉、川端康成をはじめとする同世代の文学者たちに献呈。現在、同館に寄託された1部を含め、34部の現存が確認されている。

 寄託本には「河上徹太郎様 中原中也」と記されている。同館が2008年11月、岩国市内の徹太郎の実家を調査して発見。昨年7~10月に開いた特別企画展「河上徹太郎と中原中也―その詩と真実」でも展示した。

 徹太郎の養子の河上徹さん(47)=川崎市=から寄託を受け、徹太郎の誕生日に当たる8日から3日間の公開を決めた。中原豊館長は「中也と徹太郎の友情の証しの一冊。広く知ってもらえれば」と話している。

(2011/1/7 中国新聞ONLINEより転載)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201101070006.html

2011年1月11日 (火)

中也関連の新刊情報

Book 中原中也の時代

著者:長沼光彦
販売元:笠間書院
Amazon.co.jpで詳細を確認する

【内容紹介】
中原中也の詩人としての原点とは何か。

ダダ詩・象徴詩・生活をキーワードに、
詩や文章を検討、同時代の文脈を掘り起こし、
中原中也の詩精神の拠り所を探る。

詩人として出発した1924年から、
第一詩集『山羊の歌』の編集を開始する1930年までを対象とし、
その詩精神の展開を追う。

384ページ
出版社: 笠間書院 (2011/1/28)
言語 日本語
ISBN-10: 4305705303
ISBN-13: 978-4305705303
発売日: 2011/1/28

2011年1月 2日 (日)

ダダ詩「ノート1924」の世界<5> (風船玉の衝突)

「ノート1924」5番目の作品
(風船玉の衝突)に
恋や女は消えたようですが……

これまでの4作品とは
筆記具も筆跡も変わっていることから
制作された日も
異なることが推測されていますが
1924年の春に変わりはないようです

詩人は
泰子との衝突から逃れて
外へ出ます

立て膝をするのは
泰子か
詩人か
遠い日の思い出なのか
砂遊びの光景が
浮んできますが
回想する自らに
幼き日を忘れるように命じます

ここは京都の街
春はレンガ塀に
いつのまにか訪れ
ぼくは
福助人形の影法師になって
映っている

(福助人形をぼくではなく
故郷の父親か祖父かのメタファーと
解釈することも可能です)

親のない子の下駄が
置き忘れられてあるのは
公園の入口
そこには
ペンキのはげた立札もポツンと

ここに
詩人がいます
故郷を飛び立ち
今しばし
泰子を離れた
孤立した魂

春爛漫なのではありません
ぼくの着物のスソは
狂犬病者に
食いちぎられてしまった……

途中で
終わってしまった
未完成の詩を
一つの一貫した
ストーリーとして読み通すことなんてできません
やってはいけないことです

ここに
歌われようとしているのは
幼き日の思い出とかを
退路にしようとする
自身への戒めでしょうか

狂犬病の比喩は
いかにも物騒ですが
これは
ダダ的誇張
仮に
泰子の影をここに見たとしても
恋が損傷されるものではありません

 *
 (風船玉の衝突)

風船玉の衝突
立て膝
  立て膝
スナアソビ
心よ!
幼き日を忘れよ! 

煉瓦塀に春を発見した
福助人形の影法師
孤児の下駄が置き忘れてありました
公園の入口
ペンキのはげた立札

心よ!
詩人は着物のスソを
狂犬病にクヒチギられたが……!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2011年1月 1日 (土)

ダダ詩「ノート1924」の世界<4>(天才が一度恋すると)

4番目の
(天才が一度恋すると)は
詩人によるタイトルは付けられてなくて
未完の詩です

断片といってもよい
完成されていない
息のようなもの

詩人は
やがて
この呼吸の一息(ひといき)を
詩の切れ屑(きれくず)と呼んで
散策の目的にします

今はまだ
そのような切迫さに
追われているとはいえませんが
断片には
むき出しになる
詩の原形が見られます

ここに歌われている
恋とかは
もうすでに
詩人の未来の恋を
自ら予言するものであるかの
伝記の序章のようです

詩人は
やがて
恋愛詩の絶唱を
数多く歌うことになるのですが
それは
自叙伝のように
過去のことや
のんびりしたものや
家族のことなどを含まない
今のことについてばかりの
日記のようなものになりました

考えることが
なんでもかんでも
泰子につながっていってしまうのです

 *
 (天才が一度恋すると)

天才が一度恋すると
思惟の対象がみんな恋人になります。
御覧なさい
天才は彼の自叙伝を急ぎさうなものに
恋愛伝の方を先に書きました

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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