ダダ詩「ノート1924」の世界<5> (風船玉の衝突)
「ノート1924」5番目の作品
(風船玉の衝突)に
恋や女は消えたようですが……
これまでの4作品とは
筆記具も筆跡も変わっていることから
制作された日も
異なることが推測されていますが
1924年の春に変わりはないようです
詩人は
泰子との衝突から逃れて
外へ出ます
立て膝をするのは
泰子か
詩人か
遠い日の思い出なのか
砂遊びの光景が
浮んできますが
回想する自らに
幼き日を忘れるように命じます
ここは京都の街
春はレンガ塀に
いつのまにか訪れ
ぼくは
福助人形の影法師になって
映っている
(福助人形をぼくではなく
故郷の父親か祖父かのメタファーと
解釈することも可能です)
親のない子の下駄が
置き忘れられてあるのは
公園の入口
そこには
ペンキのはげた立札もポツンと
ここに
詩人がいます
故郷を飛び立ち
今しばし
泰子を離れた
孤立した魂
春爛漫なのではありません
ぼくの着物のスソは
狂犬病者に
食いちぎられてしまった……
途中で
終わってしまった
未完成の詩を
一つの一貫した
ストーリーとして読み通すことなんてできません
やってはいけないことです
ここに
歌われようとしているのは
幼き日の思い出とかを
退路にしようとする
自身への戒めでしょうか
狂犬病の比喩は
いかにも物騒ですが
これは
ダダ的誇張
仮に
泰子の影をここに見たとしても
恋が損傷されるものではありません
*
(風船玉の衝突)
風船玉の衝突
立て膝
立て膝
スナアソビ
心よ!
幼き日を忘れよ!
煉瓦塀に春を発見した
福助人形の影法師
孤児の下駄が置き忘れてありました
公園の入口
ペンキのはげた立札
心よ!
詩人は着物のスソを
狂犬病にクヒチギられたが……!
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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