諸井三郎と中原中也の議論・吉田秀和さんの発言にふれて<続2>
「角川新全集第1巻詩Ⅰ解題篇」の「朝の歌」の項には、諸井三郎が書いた「『スルヤ』の頃の中原中也」という一文が紹介されています。これは、角川書店版の中原中也全集の旧版(旧全集)に付録として添付されていた「月報Ⅰ」に掲載されたものですが、丁度、手元に、その「月報Ⅰ」がありましたから、ここではこちらを元にあらましを引用しておきます。「月報Ⅰ」は、昭和42年(1967年)の発行になり、「『スルヤ』の頃の中原中也」は先に紹介した「スルヤ」第2輯から、およそ40年後に書かれた回想記ということになり、B5版で2ページ弱の小文です。諸井三郎は、1903年生まれですから、63歳前後に書いたことになります。
「スルヤ」の頃といえば、もう四十年も前のことになる。もはや遠い昔の思い出となった時代である。「スルヤ」といっても知らない方が多いと思うが、これは、内海誓一郎や私などの作曲を発表する芸術団体で、そのメンバーのなかには、小林秀雄、今日出海、河上徹太郎、田宮博、安川寛、関口隆克などの人々が加わっていたが、中原中也も参加していたわけである。
これらの人々は今日でこそそれぞれの分野の代表的人物になったが、その当時はいずれも無名で、文学や音楽に夢中になっていた、いはば芸術につかれた青年たちだったわけだ。そして、当時の思い出は数限りなくあるが、いずれもなつかしいものばかりで、今日になって見れば、ほんとうに恵まれたみのり豊かな青年時代だったと思う。
中也と私の出会い、これは今でもはっきりと憶えている印象の強いものだった。そのころ中野駅の近くに住んでいた私は、ある日、買物をしようと家を出た。少しいった細い道で、まことに変った格好をした一人の若者とすれ違った。一目で芸術にうつつを抜かしているとわかるような格好だったが、黒い、短いマントを着、それに黒いソフトのような帽子をかぶった、背の低い、小柄なその人物は、一種異様な、しかし強烈な印象を与えずにはおかなかったが、お互になにか心にひっかかるのを感じながら、その時は、そのまますれ違ってしまった。
買物をすませて家に帰り、しばらく家で休んでいると、玄関に人の声がする。出て見ると、そこにさっきの黒ずくめの青年が立っている。私が用件をたずねると、彼は一通の紹介状を出した。それは河上徹太郎の書いたものだったが、それによって、私は彼が中原中也なる詩人であることを知ったわけである。
*長くなるので、今回はここまでの引用でやめておきます。中原中也は、ぶしつけな夜襲を敢行したのではなく、一定の礼儀を忘れずに、初対面の人物との交友をはじめたということが、よく見える描写です。はじめの「すれ違い」のシーンなどは、様子見とか逡巡とかをさえ感じさせる詩人の行動を想像させ、ナイーブでさえあります。
(この項つづく)
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