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2011年2月13日 (日)

「朝の歌」を読み直す/失なわれた夢

一つかじっては、また一つ、
充分に感じられたのか、存分に味わえたのか、
数式を解くようようには、ピタリとフィットする答えを得られなくて、
もどかしいような感覚を残しながら、
また一つまた一つと
中原中也の詩の中に分け入って行きます。

「朝の歌」へたどりついて、
グンとやわらかい感じになったようです。
文語調でソネットであることが、
元来、優しい響きを放つからなのでしょうか。

静かな朝の情景です。
前夜、酔っ払ってしまって、泥のように眠り込んだ詩人は、
目覚めた床の中にいて、
雨戸を漏れる陽光が
朱色に映える天井を見上げています。

どこからともなく
ズンタッタ ズンタッタと聞こえてくる行進曲
勇まし気ではありますが気だるい響きは
詩人を起き上がらせる気持ちにさせません。

小鳥らの鳴き声がしないのは
とっくに太陽はのぼり、
外は晴れあがって、
薄い藍色、はなだ色の空が広がっています。

何度、こんな朝を迎えたことだろうか!
何もしようとする気になれない
倦怠に満ちた詩人の心を
誰もとがめようとはしない静かな朝なのです。

昨日見かけた
あの新築中の家の材木からだろうか
樹脂の香りが鼻を突いて
シャキッとしなさい、と母の声がしたようなまどろみの中で
詩人の胸はざわめきはじめます

ああ、失ってしまった夢
あれもしよう、これもしようと
本当に様々に抱いていた夢は
どこへ行ってしまった?
森が揺れている
風に吹かれて、葉音ばかりが聞えてくる

森の向こうには
大きな空が広がっている
果てしなく広がっていく空に向かう
一本の土手道を伝って
消えて行く
美しい様々な夢よ!

東京の安アパートの一室の情景が
詩の終わりの方では
この詩が作られた当時の
東京・中野や杉並あたりの小川へと連なり
やがては故郷・山口の土手の道に溶け込んでいるかのようです。

詩人はしみじみとして
喪失と倦怠を歌いますが
絶望の淵に立っているというよりも
希望をさえ感じさせる時間が流れています
悲運の詩人にも
このような時間があったのだ、と思えれば
ばんざい!と一言叫んでみたくもなる作品です。

詩人は後に「詩的履歴書」という小さな自伝の中に
「『朝の歌』にて方針立つ。」と
この作品が「詩人としてやっていける!」
会心作であることを記しました。
 *
 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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