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2011年2月14日 (月)

「月」を読み直す/詩人の悲しみ

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by Shake My Day


「初期詩篇」の2番目、
「山羊の歌」全体から見ても
2番目に置かれた「月」は
ダダの詩ではなく
ダダを脱皮しようとして作られた詩です

中原中也の詩作品としては初期のもの。
ダダっぽさを残しながら
ダダではなく
象徴詩に近づきつつも
象徴詩としては若さ(=青さ)の
残る作品といえるかもしれません

難解ながら詩句を何度も追っているうちに
見えてくるものがあります。
はじめに詩の形が見えてきて
次にはストーリーみたいなものが
浮かび上がってきて
やっぱり中原中也の詩になっているのがわかります。

4- 4- 3- 3の14行詩
ソネットの形。
各連に「月」の1字が見えます。
その月を見比べると……。

1連は、月はいよいよ愁しく
2連は、ものうくタバコを吸っている
3連は、汚辱に浸る
4連は、首切り役人を待っている月

悲愁(ひしゅう)の愁の「かなしみ」の中にあり
懶惰(らんだ)の懶の「ものうさ」の中にあり
汚辱(おじょく)に心はまみれ
天女たちのトー・ダンスにも
慰愛(いあい)されることのない月は
詩人自らのことを指していることが
想像できるでしょうか。

2連の4行は
遠い戦争の記憶がよみがえったのか
忌々しい過去を意味するのか
戦地のイメージなのか
さびついた缶から取り出したタバコを
物憂くふかしている月……
倦怠(けだい)がここにもはじまっています

4連にきて
慰まることのない月=詩人は
星々に向かって
これら悲愁や汚辱や倦怠を
いっそのこと
切り落としてくれるように
首切り役人の登場を呼びかけるのです

これだけでは
なにが歌われているのか
ぼんやりしていて
ベールの外側から
劇かショーかを
見ているような感覚になります

その感覚は
的を外れているものではなく
この詩が
ガリラヤ王ヘロデと
その王女(義理)サロメと
預言者ヨハネらが織りなす
オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」を
下敷きにしているからもっともなことなのです

「サロメ」は
ヘロデに捕らわれた
バプティスマのヨハネの生首を
サロメが義父ヘロデに求め
娘サロメにぞっこんのヘロデは
サロメの望みに応じたため
ヨハネの生首にサロメが接吻するという筋書きのドラマで
ビアズレーの挿画で有名になりました


養父
砂漠
運河
七人の天女
趾頭舞踊
そう手(そうしゅ)
……
といった語句が現れるのは
こういう理由があったのです

これらの登場人物や舞台背景が
「サロメ」のシーンであることを知れば
一気に
「月」の内部に溶け入っていくことになるのですが
なぜ「サロメ」なのかという謎を
読者は抱くことになり
ここではじめて
中原中也の詩「月」を味わう
糸口をつかんでいることになります

 *

Tuki

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