「都会の夏の夜」を読み直す/サラリーマンの悲しみ
東京のサラリーマンたちの姿が
とらえられました。
銀座か新宿か渋谷か……
相も変らぬ都会の夜の風景です。
ラアラア
ラアラア
サラリーマンたちが高唱する中身は
ききとれません
ただラアラアとだけ聞こえます
皆さん
糊のきいた
よそ行きの白いシャツの襟も
曲がちゃって
職場のお仲間の結婚式の帰りなのでしょうか
口を大きく開ききって
心の中が丸見えのようなのがどこか悲しい
頭の中も土の塊にでもなってしまったかのように
ラアラアとだけ
がなりながら
どこかへ帰っていくのです。
ここには、しかし
非難がましさはありません
あきれているばかりではなく
サラリーマンへの哀れみのようなものさへ
漂います
いい加減に
おれも
あの隊列の中に入りたいなあ
ラアラアと
何もかも忘れて
高吟してみたいよなあ
という共鳴の響きすらあります
*
都会の夏の夜
月は空にメダルのやうに、
街角(まちかど)に建物はオルガンのやうに、
遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。
――イカムネ・カラアがまがつてゐる――
その脣(くちびる)は胠(ひら)ききつて
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊になつて、
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
商用のことや祖先のことや
忘れてゐるといふではないが、
都会の夏の夜(よる)の更(ふけ)――
死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。ポチっとしてくれたらうれしいです。)
« 「春の夜」を読み直す/中原中也の詩のダダの強度 | トップページ | 【ニュース】また房総文学散歩:描かれた作品と風土/3 千葉市と中原中也 »
「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
- <再読>時こそ今は……/彼女の時の時(2011.06.13)
- <再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー(2011.06.12)
- <再読>雪の宵/ひとり酒(2011.06.11)
- <再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち(2011.06.10)
- <再読> 秋/黄色い蝶の行方(2011.06.09)
« 「春の夜」を読み直す/中原中也の詩のダダの強度 | トップページ | 【ニュース】また房総文学散歩:描かれた作品と風土/3 千葉市と中原中也 »
コメント