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2011年2月21日 (月)

「春の夜」を読み直す/中原中也の詩のダダの強度

中原中也が山口中学を落第し
京都の立命館中学に転校したのは1923年(大正年)
16歳のことです。
生地を離れ
自活をはじめた中原中也に開かれる新世界。
その一つがダダでした。

京都の古書店で偶然見つけた
「ダダイスト新吉の詩」に触発され
「ダダさん」とあだ名で呼ばれる時期もあった詩人でした。

詩人富永太郎を知ったのも
駆け出しの女優長谷川泰子を知ったのも
京都でしたが、
3年と満たない滞在でした。

泰子とともに上京したのは
1925年(大正14年)18歳の年です。
詩で身を立てる決意を固めるのですが
東京での詩作が
ダダイズムをきっぱり断ち切ったわけではありません。

それどころか
ダダイズム的詩作法は
終生、中原中也の詩に影を落とし
独特の強度を与えていくことになります。

新しい詩境とされる
朝の歌までに作られた
4篇の「初期詩篇」は
ダダおよび脱ダダの詩として
じっくりと読んでおきたい詩ですが

西欧象徴詩をはじめ
日本の文語詩や雅語
漢語・漢文調など
詩法への多様な摂取を試みていた
この頃の詩の一つである
「春の夜」は、
全行に散りばめられた暗喩が
難解を極めます。

いぶし銀のような色の窓枠の中に
一本の桃色の花が見える、
あれは桜か、桃の花か

月の光を浴びて気を失ったように、
庭の地面はほくろ状の模様になっている

ああなんとも平穏なことだ
木々よ恥じらいを知り
立ち回れよ

今涼しげな音楽が聞こえているが
希望はなく、
かといって
懺悔するほどでもない

敬虔な木工だけが
夢の中を行くキャラバンの足並みを
かすかに見るであろう

窓の中には
さわやかでおぼろげで
砂の色をした絹衣が揺れ動いている

大きなピアノが鳴り響いているけれど
祖先はないし、親も消えてなくなった
昔埋葬した犬はどこかと、
振り返っていると、
遠い日がサフラン色によみがえってきたよ
ああ今は、春の夜なんだなあ

春の夜の
優艶で妖艶な情景が歌われていて
幻想的ですし
夢のようです。

場所は、
中国唐代の宮廷?
フランスの宮殿?
アラビアの王城?
と、とんでもない想像が
広がりそうになります。

第4連の、
「希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず」
の、否定形で述べられた
主体(主格)が
詩人でありましょう。

第7連の、
「祖先はあらず、親も消けぬ」
には、詩人以外の
もう一人の主人公が現れますが
両者の関係がどのようなものであるのか
不明です。

どこそこの
だれそれが
何をどうした
という物語の主述が錯綜していて、
主格を探すのに苦労しますし、
関係も曖昧模糊としています。

謎解きの姿勢で詩を読むのも
一つの方法ですが
やれこの行はベルレーヌ、
やれこの行はブラウニングと
糸口が探られていますが
「学問」し過ぎては「詩」を見失いますから
深追いはほどほどに。

1行でも理解できれば
そこをきっかけにして
イメージを膨らまし、
ほかの行を読んでいると
また新しい読みが生れたりして、
少しづつ溶けていくこともあります。

詩の謎は、
謎のままにしておいたほうがよい
という場合もあります。

 *
 春の夜

燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝の花、桃色の花。

月光うけて失神し
  庭(には)の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。

あゝこともなしこともなし
  樹々よはにかみ立ちまはれ。

このすゞろなる物の音(ね)に
  希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。

山虔(つつま)しき木工のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。

窓の中(うち)にはさはやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(ごろも)。

かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消けぬ。

埋みし犬の何処(いづく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいづる
      春の夜や。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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