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2011年3月20日 (日)

ダダ詩「ノート1924」の世界<11-2>想像力の悲歌

この詩の蝶は
ただちに
「一つのメルヘン」(「在りし日の歌」)の蝶を
思い出させます

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落してゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……

と、第3、4連に登場する蝶です

二つの詩は
内容も情景もモチーフも
すべてが異なり
作られた時も隔たっていますが
蝶のイメージは
どこか似通っているものがあります

それはなんだろう

どちらも
起承転結の転、
ある場面を次の場面へと転じるための
動機として「蝶」を登場させ
詩が動きはじめるきっかけになっているのです

「一つのメルヘン」を作ったときに
遠い日に作った「想像力の悲歌」の「技」が
詩人の中によみがえったことを
だれも否定できるものではありません

今しも一つの蝶がとまり、

やがてその蝶がみえなくなると、
の2行は
時間が動いた瞬間を示しますが

その日蝶々の落ちるのを
夕の風がみてゐました

も、時間が流れたことを指示しています

その時に!
なにが起こったでしょうか

どちらの詩も
「結」の連となり
「想像力の悲歌」の「結」は
恋です

詩人は
恋を
それほどに
歌いたかったのでしょう

冒頭連に出てくる

恋を知らない
街上の
笑ひ者なる爺やんは

の爺やんは

キリスト教的無政府主義系統の詩人で、その頃「大空詩人」と称して、マンドリンを弾きながら、各地の盛り場を流して歩く一種の名物男であった。永井が弾き、泰子が踊るコンビを組んだこともあり、その保護者だった

と、後に
大岡昇平が記した(「角川旧全集解説・詩Ⅰ」)
永井叔のことらしく
詩人と泰子とのなれそめの情景が想像できます

 *
 想像力の悲歌

恋を知らない
街上の
笑ひ者なる爺やんは
赤ちやけた
麦藁帽をアミダにかぶり
ハッハッハッ
「夢魔」てえことがあるものか

その日蝶々の落ちるのを
夕の風がみてゐました

思ひのほかでありました
恋だけは――恋だけは

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

Senpuki04
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