ダダ詩「ノート1924」の世界<37>(58号の電車で女郎買に行つた男が)
1924年は夏も盛りへ向かっていたのでしょうか
季節を感じさせる語句を
前々作(成程)に
蛙が鳴いて
一切がオーダンの悲哀だ
とあるの以外に
見つけようにも見つけられない
ダダ詩が続いていますが
(58号の電車で女郎買に行つた男が)の最終2行
今日天からウヅラ豆が
畠の上に落ちてゐました
は、雹(ひょう)のことではなかろうかと
想像を掻き立てられます。
それまで晴れ上がっていた夏空が
一転俄(にわ)かにかき曇って
鶉豆(うずらまめ)の大きさの
氷の塊が
バラバラ、ガラガラ、ボトボト……と
一瞬何が起こったのかと疑う眼が
あたりの人々に起こる
雹の襲来(しゅうらい)です。
この2行が
雹の襲来を表現しているものだとは
断定できませんが
この詩は
それどころか
のっけから
女郎買い
梅毒
そして
自殺……と
物騒な言葉の機関銃です。
ダダの力強い行進がはじまったのを眺めるようで
雹であるなら
詩全体がピタリと決まった感じになるのです。
中原中也の女郎買いについては
長谷川泰子の証言がありますから
まずはそれを
ひもといておきましょう。
「角川新全集第二巻詩Ⅱ・解題篇」からの孫引きです。
「中原中也の思ひ出」中条泰子
中原に会つて間もない頃、ある日、荒い絣の筒袖を着て私の下宿に来、一緒に散歩へ出かけました。彼は特別小作りで全体が平均してゐるので、奇形的な感じはありませんが絣の筒袖なのでまるで子供とあるいてゐるやうな感じです、四条の通りを八坂神社に近づいた頃、突然立ちどまつて、私の顔を見上げて、「あのー一寸女郎買ひ行つてきます」と、うすあかりの軒燈の立竝ぶ横町へはいつて行きました。私はその小さな後姿の遠のくにつれ益益小さくうすれてゆく不思議な、光景をいつまでも見送つてゐました。/私は下宿に帰つてゐますと、三十分そこそこ位の時間にきて、例のニヤツとする笑ひをしました」(創元社版全集月報3、昭26)。
こういうところへ出入りしては
小唄の一つを口ずさんで
京の街を歩いたり
時には
文学仲間との談論のネタにしていたことがあったのでしょうか
詩人が早熟というにしては
深い孤独を思わせてなりません
58番線の路面電車に乗って
そこへ行ったのは
詩人のことと取るのが自然ですが
これはダダイズムですから
そして詩作品ですから
事実か否かとは
別の問題です
梅毒もそうです
「12の如き沈黙の男」もそうですが
「12の如き」はなんのことやら
ここに重要な意味が隠されていそうな言葉ですが
沈黙にかかる形容詞句ですから
口数の少ない男のクセに、ほどの
意味に取っておけばよいでしょうか
街では
交通巡査が手旗信号で
しきりに腕を上下左右に動かしていました
無表情が滑稽気味ですが
ヤツには悩み事一つないのだろうかと
憮然とした感じもあります
それを
自殺しない自殺の経験者が
障子に
唾で濡らした指を入れて穴を開け
そっと観察していたのです
これは詩人ではなく
だれか近辺の人物を揶揄(やゆ)したものでしょう
自殺しない自殺の経験者とは
牙城にこもって
勉強ばかりしている
アカデミッシャンのことに違いなく
そいつが
障子に穴を開けて
街の様子を観察しているのです
ああ
今日という日は
色んな目に遭った日だなあ、という気分
さんざんだなあ、という気分だけではなく
驚かされることが多かったなあ、という気分
最後の仕上げには
空から
氷の塊さへ降ってきたもんだ
たまげたよなあ、という気分
幾分、感動が混ざっている気分でもあります
*
(58号の電車で女郎買に行つた男が)
58号の電車で女郎買に行つた男が
梅毒になつた
彼は12の如き沈黙の男であつたに
腕 々 々
交通巡査には煩悶はないのか
自殺せぬ自殺の体験者は
障子に手を突込んで裏側からみてゐました
アカデミッシャンは予想の把持者なのに……
今日天からウヅラ豆が
畠の上に落ちてゐました
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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