ダダ詩「ノート1924」の世界<36>(過程に興味が存在するばかりです)
恋が歌われて
いくつの詩ができただろうか
詩ができるまでに
どんな会話や議論が
行われただろうか
恋について
当事者同士が語り合うなどということは
ありそうにない話だから
これら恋に関する詩はみんな
詩人の思索の結果なのかもしれません
あるいは
学友や文学仲間との談論に
恋が話題になったということもあったのでしょうか
詩は
世俗の恋を語らず
芸術論を語り
哲学を語り
詩論を語る傾向にあるようなのは
恋を
男女の情話にしたくはなかった
ダダイストの面目なのでしょうか
過程=プロセスが大事です
それではいけないとでも言うのですか
生活の中の恋が
原稿用紙の中の芸術となるのです
人の命が有限であり
(恋は)
有限の中の無限でありますから
最も有限なものが
恋なのでした
君の髪の毛を1本1本数えて
何本あったって自慢してみなさい
そりゃテーマが先にあるという逆の論理です
アルファベットの芸術です
(過程と結果の倒錯です)
集積より流動!
魂は集積じゃありません
ここには
一種恋の哲学を
開陳するダダイストの姿がありますが
実際の恋は
より深刻な状況にあったことも推測できます
*
(過程に興味が存在するばかりです)
過程に興味が存在するばかりです
それで不可(いけ)ないと言ひますか
生活の中の恋が
原稿紙の中の芸術です
有限の中の無限は
最も有限なそれでした
君の頭髪を一本一本数へて
それから人にお告げなさい
テーマが先に立つといふ逆論は
アルファベットの芸術です
集積よりも流動が
魂は集積ではありません
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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