ダダ詩「ノート1924」の世界<22>(酒は誰でも酔はす)
芸術論議、文学論議は
詩人の下宿で行われることが多かったようです。
ということは
泰子もそれを聞いたり
時には参加したり
時には逃げ出したりしたことでしょうが
下宿ばかりではなく
四条大橋や新京極の酒場などへも
繰り出して行われた様子です
そこは自由な談論風発の場であったはずで
時には天下国家を論じたり
人生論や政治論になったり
下品な話題に落ちたこともあったでしょうし
行過ぎて
個人攻撃なんてことも
ままあったことでしょう
詩人は
きっとそうした無礼講の中でも
詩を忘れることはありませんし
大酒の後の空しさを噛みしめる段になって
ますます詩論に磨きをかけます
詩人は
ただの飲兵衛(のんべえ)じゃあなかったのです
だって
まだ17歳ですよ
早熟とはいえ
李白や白楽天の酒とは異なります
(酒は誰でも酔はす)は
未完成作品ですから
タイトルも仮題ですが
このところ続いている
近辺の交友関係への批判が
ダダ表現の技を駆使する方向には向かわず
いっそうストレートになります
それでいて
破綻しません
崩れないのです
酒は誰でも酔わすよ
だけどどんなに優れた詩だって
字の読めない人を酔わすことはない
だからといって
酒が詩より上等だなんて考えるヤツは
どうかしてるよ
勝手に
生活が一番芸術はその次
なんてほざいていやがれ
それではね
自然が美しいってことは
自然がカンバスの上でも美しいっていうことになるんだ
芸術はさあ
経験を否定してできるものじゃないから
それを否定してしまったら
魅力的な詩はできっこないがね
だけど
「それをもってそれを現わすべからず」って言葉を覚えておけよ
それってのは
自然のことだよ
科学は個々のことばかりを考えて
文学は関係のことばかりを考え過ぎる
文士よ
世智辛い世の中を見て書いたり
発言したりするのはいいけど
中に入っちゃって
世の中を見なくなったらいけないよ
批判の論点が
しっかりしていて
揺るぎありません
ダダで煙に巻く
というわけでもありません
*
(酒は誰でも酔はす)
酒は誰でも酔はす
だがどんなに傑れた詩も
字の読めない人は酔はさない
――だからといつて
酒が詩の上だなんて考へる奴あ
「生活第一芸術第二」なんて言つてろい
自然が美しいといふことは
自然がカンヴアスの上でも美しいといふことかい――
そりや経験を否定したら
インタレスチングな詩は出来まいがね
――だが
「それを以つてそれを現わすべからず」つて言葉を覚えとけえ
科学が個々ばかりを考へて
文学が関係ばかりを考へ過ぎる
文士よ
せち辛い世の中をみるが好いが
その中に這入(はい)つちや不可(いけ)ない
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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