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2011年5月22日 (日)

「むなしさ」からはじまる

「ノート1924」の最末尾の作品
「無題(緋のいろに心はなごみ)」を読んだところで
短歌と翻訳詩を除く
中原中也の詩作品のすべてを
読み終えたことになります。

 

2008年5月にスタートして
丸3年で
およそ350の詩を読んだ計算です。

 

さて、次はどこへ向かおうか
いろいろなアイデアが浮んできて
うれしいためいきが出ます。

 

その底に
まだ読めていない、読みきれていない
という無力感があるのを
認めざるを得ませんが
中原中也の詩の魅力には
グイグイと引きずられ
詩以外の言葉、
ランボーへの取り組み
翻訳詩の世界
評論や小説
日記・書簡……へと
関心は広がっていくばかりです。

 

中也と宮沢賢治
中也とランボー
中也とベルレーヌ
中也とダダイズム
といったテーマに踏み込んで
専門的に読んでも面白いかもしれない

 

それにしても
幻の処女詩集の計画が頓挫したところから
「山羊の歌」が発行される昭和9年末までには
長い時間があります。

 

「むなしさ」を書いた詩人は
まだまだ大都会を歩きはじめたばかりのところにいるのですが
この詩が「在りし日の歌」に収録されても
詩人はこの第二詩集を
生前、手にすることはできなかったのです。

 

詩人の足取りを追っていくうちに
そのことを知ることになるのですが
それにしても
生命賛歌に溢れた「山羊の歌」の発行から
3年も経たない日に
詩人は死亡してしまい
死亡してしまうにもかかわらず
第二詩集「在りし日の歌」を残したのです。

 

この信じがたい軌跡!

 

処女詩集を計画した
昭和2、3年の時点で
詩人はもちろん
自らの運命を知ることはなかったのですが
そのことを知りながら
大都会を歩きはじめたばかりの詩人の後を
歩いていくことができるなんて
読者って
祝福された存在ですよね。

 

詩は逃げていかないし
寄り道もできるし。

 

 

 

 *
 むなしさ

 

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

 

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

 

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず

 

明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

 

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓(こきゆう)の音 つづきてきこゆ

 

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 

Senpuki04

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