<再読>木蔭/詩人の休息
「山羊の歌」の中の
「少年時」を読み直しています。
一度、読みましたが
読み足りなかった部分を
少しだけ補いました。
◇
「少年時」9篇のうち後半の4篇に
共通して現れる自然があります。
それは
夏と空ですが
「木蔭」の空は
夏の昼の空です。
梅雨が明けて
木陰が気持ちよい季節
すでに夏は盛りに近く
神社の境内の楡の葉影は濃く
小さく揺れて
緑がさざ波をうっています
爽快な季節なのに……
詩人は
まとわりついて離れない
暗い後悔の中にいます
馬鹿馬鹿しくて
思わず笑い出したくなるような
ぼくの過去
(泰子と過ごした時間は、極く最近のことであるのに、遠い過去のように感じ取られているのです)
涙に濡れた闇となり
いまや根強い疲労と化して
朝から晩まで
忍従するほかになく
怨むことさえもなく
生気を失った心が
空を見上げる
その
ぼくの眼を……
なぐさめてくれる
ああ
なぐさめてくれる
神社の境内の
夏の日の昼の
楡の木陰です。
泰子とともにあった過去を
詩人は
後悔の中に
捉えるようになるほど
立ち直ったというべきでしょうか
遠い日の思い出と化してしまったのでしょうか
木蔭は
詩人の後悔をなぐさめてくれるものであっても
一時のものでしかなく
なぐさめでしかありません
この苦しみの中で
詩人の眼差しは
空に向かいます。
祈るような気持ちで
空を見るようになっているのです。
*
木蔭
神社の鳥居が光をうけて
楡(にれ)の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥(なだ)めてくれる
暗い後悔 いつでも附纏ふ後悔
馬鹿々々しい破笑にみちた私の過去は
やがて涙つぽい晦暝(くわいめい)となり
やがて根強い疲労となつた
かくて今では朝から夜まで
忍従することのほかに生活を持たない
怨みもなく喪心したやうに
空を見上げる私の眼(まなこ)――
神社の鳥居が光をうけて
楡の葉が小さく揺すれる
夏の昼の青々した木蔭は
私の後悔を宥めてくれる
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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