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2011年5月 6日 (金)

ダダ詩「ノート1924」の世界<44>冬と孤独と

「冬と孤独と」は
「ノート1924」に記されたダダ詩の
最後の作品といわれている詩です。

1924年11月制作と推定されていて
ほかに「ノート1924」に書かれてある作品は
昭和2―3年(1927―28年)制作の
「浮浪歌」以降の一群の詩になりますから
「ノート1924」にあるものでは
京都時代の最後の作品ということになります。

富永太郎が
京都にやってきたのは
大正13年(1924年)6月30日でした
東京府立一中、二高(現東北大学)以来の学友である
正岡忠三郎を頼って
はじめは正岡の下宿に寄宿したのですが
9月初旬からは
上京区下鴨宮崎町へ転居。

いっぽうの中原中也は
10月初旬に
それまで泰子と住んでいた
北区大将軍西町椿寺の下宿から
上京区中筋通石薬師へと移転しました。
両者の下宿はおよそ1キロの距離にあり
この10月を機に
二人の交友は深まりましたが
11月中旬には
冷却しています。_

「ダダイストとのdégoûtに満ちたamitiéに淫して四十日を徒費した」と、
富永が村井康男宛に送った書簡(11月14日付け)が残ったことで
そのあたりの事情が一部明らかになっているのですが
この日より前の10月11日に
富永は自らの喀血を記しています。
(※dégoûtは「嫌悪」、amitiéは「友情」を意味するフランス語)

中原中也は
自己の詩作に有益であると判断した人物に巡り合うと
住まいを変えてまでして
その人物の住居の近辺に引っ越して
交友関係を深めるのを常としましたが
富永太郎もその例外ではありませんでした
その嚆矢(こうし)だったのです。

その最も濃密な交友期間は
富永に言わせると40日間だったのですが
おそらく
空ける日の1日たりともない
連日の交友だったのでしょう
病を抱える方が
参ってしまうのは当然過ぎることでした。
しかし
富永の病はこの時
富永自身によって隠されていたので
正岡忠三郎や中原中也は
知りようもありませんでした。

12月3日の夜
京都駅を発つ富永を
正岡忠三郎、冨倉徳次郎、中原中也の三人が
見送りました。

「冬と孤独と」は
11月制作と推定されていますから
以上の経緯が
反映されているものに違いはないでしょう

いや、制作日が
富永の言う40日を過ぎた日であったと推測すれば
詩人の「冬の孤独」を察することは
困難ではなくなってきます

新聞紙の焦げる匂い
黒い雪
火事の半鐘
……
これらは
不安を表す異なる表現に過ぎません
詩人の内部に
危急を告げるサイレンの音が
鳴り響いているかのようです

路次の角に立ったとき走り去った小犬は
詩人の孤独そのものです
あるいは
詩人の形相のただならぬ気配に
小犬までもが逃げ出したということだったのでしょうか
いやいや
小犬は富永そのものだった可能性すらあります

俺は引き返すわけにはいかないのだ
富永が盛んに語っていた
小林秀雄というヤツにも会ってみたいし
このままでは
ランボーだって生齧りのままだ……

でも
この道をまっすぐ行ったからといって
ただちに俺の求める詩が
見つかるというものでもあるまいし
俺が俺の詩を作れるというものでもあるまい
いったい
どんなごみためを通らなければならないか
分かったもんではない

いろはにこんぺいとう
こんぺいとうはあまーい、か

詩人は
ダダを捨てたわけではありません。
ダダ以外の詩を
認めざるを得なかっただけです。

 *
 冬と孤独と

新聞紙の焦げる匂ひ
黒い雪と火事の半鐘――
私が路次の角に立つた時小犬が走つた
「これを行つたらどんなごみためがめつかるだらう?」
いろはにほへと…………

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
※原作には、「ごみため」に傍点があります。編者注。

Senpuki04
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