「ノート1924」幻の処女詩集の世界<50>秋の日
「秋の日」は
下書き稿であり
ソネットである上に
タイトルが付けられた
完成作品です
ここにきて
ダダイズムの影は消え
とって代わるのが
文語体七五調の流麗感ですが
黒き石 興ををさめて
とか
乾きたる 砂金は頸を
とか……
取っ付きにくい詩句が並びますから
じっくりと時間をかけて読まないと
詩を味わえません
秋の日は
灼熱の夏が嘘のように影形(かげかたち)もなく
聞えてくる物音さえもが白く
冴え冴えとしている
それまでそこにあったことをだれも気づかないでいて
剥き出しになった舗道の石の上に
人の目が向けられるようになる
ああ
過ぎ去った秋の日の夢よ
中原中也が
長谷川泰子と離別したのは
大正14年の11月。
秋の日とは
その別れの生々しい記憶が刻まれた季節です
秋が巡ってくる度に
詩人は
その日の色褪(あ)せて白っぽくなった情景を
思い出すのです
やり場のない悲しみは
空に行き
人波に分け入り
いまここにたどり着いて
老人の眼(まなこ)が
毒のある訝りを帯びたときのように
黒い石になって静もりをもたらしてくれます
訝る時の老人の眼が
黒い石のような光沢を帯びて
激情をなだめてくれます
ああ
どうやって過ごしていけばよいものやら
乾いた砂金が首すじを
すっぽりと覆うような
悲しいつつましさよ
たとえば
夕日が砂金の輝きで
首すじをあますところなく包むような
悲しいつつましさです
涙が落ちるのを見ては
静かな気持ちが訪れ
諦めて後退する今日の日を
ああ
天におわします
神は見守ってくださいますでしょうか
失恋の痛手が
詩人を
神に向かわせます
*
秋の日
秋の日は 白き物音
むきだせる 舗石(ほせき)の上に
人の目の 落ち去りゆきし
あゝ すぎし 秋の日の夢
空にゆき 人群に分け
いまこゝに たどりも着ける
老の眼の 毒ある訝(いぶか)り
黒き石 興をおさめて
あゝ いかに すごしゆかんかな
乾きたる 砂金は頸を
めぐりてぞ 悲しきつゝましさ
涙腺をみてぞ 静かに
あきらめに しりごむけふを
あゝ天に 神はみてもある
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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