「ノート1924」幻の処女詩集の世界<46>涙語
「涙語」は
「ルイゴ」か「ナミダゴ」か
清書された完成品で
タイトルは詩人が付けたものです。
河上徹太郎を知り
その機縁で「スルヤ」を知り
「スルヤ」のリーダー格の諸井三郎を知り
ほかのメンバーを知り
辻潤や高橋新吉を訪問し
次第に交友関係を広げ
すでに
「むなしさ」「朝の歌」「臨終」を書いた詩人でしたが
ダダイズムから
完全に脱皮したわけではありませんでした
「涙語」にも
ダダが残っています
歌う内容がそもそも
都会人やその生活への疎外感ですから
ダダはいまだ有効とみたか
ついつい出てしまうのか
絶頂期とは異なりますが
半ダダってなところです
まづいビフテキは
暗喩のうちで
後ろのほうに
この生活の肩掛
この生活の相談、とある
都会の暮らしのことで
何か特定の事件があったものか
まったくわかりませんが
いまや泰子との共同生活ではありませんから
泰子のことではなさそうです
まづいビフテキを食べてしまったような
寒い夜だ、今夜は。
世間なれしたお調子もんに
このチカチカする灯りの
分析はピタリと決まっているよ!
どこかで飲んで食べて
議論して
その収穫を歌っているのでしょう
あれあの星
あのよくみんながいう星も
地球と人のスタンスによって
新しくも古くも見えるものさ
遠い昔の星ですら
いまの私には馴染めないものなんだから
あれあの星だって
私の意志が無くなるまで
あれはああして待っているつもりだろうけれど
私はそれをよく知っているが
ついつい歯向かっても
ここのところで折り合っておけば
神様への奉仕となるばかりの
愛でもそこで済まされるというものです
この生活のショールや
この生活の相談は
みんな私に叛くばかりです
なんという
安っぽい考えか
私は悲しくなりますが
それでも明日、元気です
馴染もうとしても馴染めない
涙ながらに
歌うのですが
だれも聞いてくれない
*
涙 語
まづいビフテキ
寒い夜
澱粉過剰の胃にたいし
この明滅燈の分析的なこと!
あれあの星といふものは
地球と人との様により
新古自在に見えるもの
とほい昔の星だつて
いまの私になじめばよい
私の意志の尽きるまで
あれはあゝして待つてるつもり
私はそれをよく知つてるが
遂々のとこははむかつても
こゝのところを親しめば
神様への奉仕となるばかりの
愛でもがそこですまされるといふもの
この生活の肩掛や
この生活の相談が
みんな私に叛(そむ)きます
なんと藁紙の熟考よ
私はそれを悲しみます
それでも明日は元気です
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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