<再読>盲目の秋/死ぬほど好きになった女
「山羊の歌」の中の
「少年時」を読み直しています。
一度、読みましたが
読み足りなかった部分を
少しだけ補いました。
◇
「盲目の秋」は
「山羊の歌」で24番目に置かれた詩です。
全部で44篇ある作品の
ほぼ真ん中に
4章に分かれる長詩が
置かれたのです。
集中の絶唱に
突如、巡りあうような感覚。
1章1章が独立した世界を展開し
つながりがないことが
かえって
切実な声に聞える
恋愛詩です
なにも付け加えることはありません。
ただ読むだけでいい
ただ味わうだけでいい
魂の震えに合わせればいい
小林秀雄のもとへ去った泰子でしたが
こんどは小林秀雄のほうが泰子から去り
中原中也は再び泰子に求愛します。
しかし、受け入れてはもらえません。
3、4章は、ほぼこの事実に照応していることが
大岡昇平の研究で明らかにされています。
大岡によれば
この時から、中也の恋がはじまった、とされる
恋愛詩が多産される時期の詩の一つです。
実際は
中也の住処に
泰子が訪れることもあった、という
二人のただならぬ関係を
中也は絶望の底で
悲しんでいました。
死ぬほど好きになった女のことを
死ぬほど好きになってしまった男が
歌う。
風が立ち、
波が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
歯を食いしばって
断崖に立つ詩人。
一瞬
死を垣間見ますが
いや
僕は生きる。
甘やかな恋の時間にはいません。
苦しい
血を吐くような恋の中で
自恃を言い聞かせたすぐ後に
サンタマリアへ哀願します……
*
盲目の秋
1
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれなゐ)の花が見えはするが、
それもやがては潰れてしまふ。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思つて
酷薄(こくはく)な嘆息するのも幾たびであらう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)へ、
去りゆく女が最後にくれる笑(ゑま)ひのやうに、
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでゐて佗(わび)しく
異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
あゝ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。
2
これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。
平気で、陽気で、藁束(わらたば)のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填(つ)めて、跳起きられればよい!
3
私の聖母(サンタ・マリヤ)!
とにかく私は血を吐いた! ……
おまへが情けをうけてくれないので、
とにかく私はまゐつてしまつた……
それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
おまへもわたしを愛してゐたのだが……
おゝ! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――
ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。
4
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでせうか。
その時は白粧(おしろい)をつけてゐてはいや、
その時は白粧をつけてゐてはいや。
ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に輻射してゐて下さい。
何にも考へてくれてはいや、
たとへ私のために考へてくれるのでもいや。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみぢ)の径を昇りゆく。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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