「ノート1924」幻の処女詩集の世界<48>(秋の日を歩み疲れて)
(秋の日を歩み疲れて)は
下書き稿の一つです。
前作「無題(ああ雲はさかしらに笑ひ)」に比べれば
タイトルも付けられていないのに
定型への意図が明確で
4-4-3-3のソネットが奇麗に成り立っていますし
ダダの尻尾も見当たりません。
形が整っている分
内容も首尾一貫し
意味不明な詩句は
わずかです
秋の日に歩きくたびれて
とある橋の上を通っていたところ
アレチノギクかなにか秋の野草が
金の光を浴びて
そよぎもせずに眠っている
その草を分けて
足音について行く
だれの足音なのか
すぐにイメージが湧いてくるのは
長谷川泰子と川沿いの道を行く
詩人の姿です
泰子は
小林秀雄と別れた後でしょうか
中也と泰子は
別れた後にも
たまに逢瀬の時間をもちました
次の連の
我慢強い君は黙りこくり
わたしは叫んだりしたが
川の果ての灰は光り
感興は唾液に消されてしまう
これまでずっと耐え忍んできた君は黙りこくり
わたしは、時折、叫んだりしたが
川が果てたあたりの砂地は陽を受けて輝いていた
景色に見とれて感嘆してばかりいたが
生唾を飲むほかになかった
このデート
二人の意気は合わず
チグハグです
あるいは
幻だったのか
遠い日がよみがえったのか
人並に
わたしも呼吸してきたのだが
人見知りする子どもが
腰を曲げて走っていくのだった
夕方の薄暗い台所に
新しい生木の香りが漂っているが
わたしはまたもや夢の中にいるような
倦怠感に襲われている
普請して
生木の香りが鼻を打つ台所に
泰子はいません
この日
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
(「汚れつちまつた悲しみに……」)
と歌う詩人まで
そう遠くはないところにいるようです
*
(秋の日を歩み疲れて)
秋の日を歩み疲れて
橋上を通りかゝれば
秋の草 金にねむりて
草分ける 足音をみる
忍從の 君は默せし
われはまた 叫びもしたり
川果の 灰に光りて
感興は 唾液に消さる
人の呼気 われもすひつゝ
ひとみしり する子のまなこ
腰曲げて 走りゆきたり
台所暗き夕暮
新しき生木の かほり
われはまた 夢のものうさ
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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