「むなしさ」からはじまる<4>
「むなしさ」は
ダダイズム以外に
認めるに足る詩が存在することに目を開かれた詩人が
ダダからの脱皮を図ろうとしていた
過程で作られた作品といわれていますから
詩の中に色々な受容の形跡をうかがうことができます。
まず目立つのが
臘祭や偏菱形=聚接面などの
難漢字、難語。
臘祭(ろうさい)の「臘」は
「旧臘=きゅうろう」の「臘」で
「去年の12月」を意味する「旧臘」という言葉を
ときどき見かけますが
「臘」は「陰暦12月」をさし
簡単にいえば「12月のお祭り」のことです。
「元来は古代中国の旧暦12月の行事。猟の獲物を先祖の霊にささげる祭」と
全集の語註にあります。
もう一つ
全集が語註を付したのが
偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)。
偏菱形は
「へんりょうけい」と読み、
「一組の辺がそれぞれ等長の四角形」と注釈していますが、
これは平行四辺形のことでしょうか、
それとも、台形のことでしょうか
「それぞれ」とありますから、前者になりますか、
原作に詩人自身のルビがなく、
読み仮名も編集がつけたものです。
聚接面は
「しゆうせつめん」とルビが付加され
「多くの面」と注されています。
さらに
「偏菱形=聚接面」は
「白い薔薇」の「花弁」の集合の図形的なイメージか、
とコメントが付けられていますが
これは疑問符「か」が付けられるように
ほかの説が考えられるからで
中華街に見られる建築の装飾や
店舗のデザイン(紋様)などであっても
可能かもしれません。
語註があるもののほかにも
たとえば
条網
胸乳(むなち)
戯女(たはれめ)
線条に鳴る
海峡岸
冬の暁風
胡弓
……と
理解に努力を要する
人によっては難解な
漢語・漢文が現れます。
これらが
富永太郎や宮沢賢治や
北原白秋や岩野泡鳴らの
影響であることがいわれますが
これを詩に摂取したのは
中原中也であり
摂取するにはそれ相当の下地があったことを
忘れてはなりません。
摂取する側に下地がなくては
摂取そのものが不可能ですから。
詩人は
元来、勉強家でしたし
多量の書物を読んでいましたし
ダダ詩を作っていた頃にも
難解な語句が頻繁に使われました。
影響といえば
これら日本の詩歌のほかに
第3連
白薔薇(しろばら)の 造化の花瓣(くわべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
この「白薔薇」に
注目せざるを得ません。
ここには
ポール・ベルレーヌの「ダリア」の受容があります。
*
むなしさ
臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
よすがなき われは戯女(たはれめ)
せつなきに 泣きも得せずて
この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
海峡岸 冬の暁風
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)ひ
それらみな ふるのわが友
偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
胡弓(こきゆう)の音 つづきてきこゆ
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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