<再読>「無題」/わいだめもない世
「山羊の歌」の中の
「みちこ」の章を読み直しています。
一度、読みましたが
読み足りなかった部分を
少しだけ補いました。
◇
「無題」は
仮題ではなく
詩人によってつけられた
詩のタイトルです。
中原中也の詩としては長い作品です。
長詩とは言えませんが
他のいくつかの長編と並んで
広がり、深さなど
スケールが大きく
圧倒されます。
5章に分けられた1は
読んだ通りに理解できる
平易な言葉で作られています。
泰子と別れた後に
荒れ狂う詩人の
ストレートな立ち居振る舞いや心情が
そのまま明らかにされ
自ら嘆きます。
私がくだらない奴だと、自ら信ずる! のです
1章で「おまへ」と呼びかけていた相手が
2章では「彼女」になります。
距離をおいて、彼女をとらえます。
彼女はまっすぐな心で
乱雑な世の中を生きてきた
わきまえのない・めちゃくちゃな世の中を
(*「わいだめもない」は、「けじめのない」という意味)
つつましく生きている
時に、心は弱り、ふさいだりすることもあるが
最後の品位を失わない
美しい、賢い
やさしい心を求めて生きてきた彼女も
エゴイスティックで幼稚な
けものやガキどもとしか出会わなかった上に
人というものはみんなやくざと思うようになってしまった
いじけてしまったのだ
彼女はかわいそうだ
3章は文語へ転調します。
少しだけ、文語のボキャブラリーが要るけれど
むずかしいほどではありません。
このように悲しく生きなければならない世の中に
あなたの心が、頑かたくなに、
頑固になることをのぞまない
かたくなにしてあらしめな
頑ななままであってはならないよ
私のほうは、あなたに親しくしたいと願うばかりで
あなたの心が、頑ななままであってはほしくない
頑なにしていると
心で見ることがなくなり、魂にも
言葉の働くことがなくなりますし
和やかな時には、人はみな生まれながらに
佳い夢を見るものですが
そういう道理を受け取ることにもなるのです。
自分の心も魂も、
忘れ果て、捨て去り
悪酔いして、狂ったように美しいもののみを求める
この世の中、私が住んでいる世の中の
なんと悲しいことでしょうか。
自分の心の中に自ずと湧き上がってくる思いもなく
他人に勝とう勝とうとして焦るばかりの
熱病のような風景は
なんと悲しいことではありませんか。
4章は
1章の「こいびとよ」の距離もなく
近くで「おまえ」に呼びかけます。
現代語で
喋りかけていますから
だれにも分かる言葉ばかりです。
しかし、甘さはありません。
睦まじい恋人同士の囁きとは
全然異なる喋りです。
おまえを思っているのも
まるで自分を罪人であるかのように感じて
思うのです。
おまえを愛しているのも
身を捨てておまえに尽くそうと
思うからです。
そうすることが
幸福なんだ
尽くせるんだから
幸福なんだ
5章は、「幸福」の副題がついています。
実は、3章も、「詩友に」というタイトルがつけられ、
「白痴群」創刊号に掲載された
独立した詩でした。
それと同じことです。
幸福は馬屋の中にある
馬屋の藁の上にある
幸福は和やかな心にはたちまちにして感じられる
頑なな心は
不幸だ
幸福はゆっくり休むことを知っている
やるべきことを少しづつやり
理解に富んでいる
頑なな心は
理解に欠け
利に走り
意気消沈して
怒りやすく
人に嫌われ
自分も悲しい
だから人よ
まず人に従おうとしよう
従って、迎え入れてもらおうとするのではなく
従うことそのものを学んで
自分の品格を高め
品格の働きを豊かにさせるのだ
たとえ
寄せ集めであったとしても
一貫して流れるものがあります
詩句の切れ端を集めて
一つの山へと総合する力の
非凡さ。
タイトルをつけられなかった
のではなく
無題、
というタイトルをつけた詩人の思いに
じっと耳傾けてみましょう。
*
無題
1
こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら
私は私のけがらはしさを歎いてゐる。そして
正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといつて正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂ひ廻る。
人の気持ちをみようとするやうなことはつひになく、
こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに
私は頑(かたく)なで、子供のやうに我儘(わがまま)だつた!
目が覚めて、宿酔(ふつかよひ)の厭(いと)ふべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまへのやさしさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みづか)ら信ずる!
2
彼女の心は真つ直い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲んでも
もらへない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真つ直いそしてぐらつかない。
彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きてゐる。
あまりにわいだめもない世の渦のために、
折に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、
而(しか)もなほ、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!
甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめてゐたかは!
しかしいまではもう諦めてしまつてさへゐる。
我利々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)はなかつた。おまけに彼女はそれと識(し)らずに、
唯、人といふ人が、みんなやくざなんだと思つてゐる。
そして少しはいぢけてゐる。彼女は可哀想だ!
3
かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがへば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生(あ)れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂ひ心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、
おのが心におのがじし湧きくるおもひもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがはしき
熱を病む風景ばかりかなしきはなし。
4
私はおまへのことを思つてゐるよ。
いとほしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸つてゐるよ、
まるで自分を罪人ででもあるやうに感じて。
私はおまへを愛してゐるよ、精一杯だよ。
いろんなことが考へられもするが、考へられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽さうと思ふよ。
またさうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
さうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩(わづら)ひのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまへに尽せるんだから幸福だ!
5 幸福
幸福は厩(うまや)の中にゐる
藁(わら)の上に。
幸福は
和める心には一挙にして分る。
頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
せめてめまぐるしいものや
数々のものに心を紛らす。
そして益々(ますます)不幸だ。
幸福は、休んでゐる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでゐる。
頑なの心は、理解に欠けて、
なすべきをしらず、ただ利に走り、
意気銷沈して、怒りやすく、
人に嫌はれて、自らも悲しい。
されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。
従ひて、迎へられんとには非ず、
従ふことのみ学びとなるべく、学びて
汝が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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