<再読>時こそ今は……/彼女の時の時
「山羊の歌」の中の
「秋」の章を読み直しています。
「時こそ今は……」は
一度、読みましたが
わずかな修正を加えています。
◇
ボードレールのファンだから知る、か
上田敏を通じて知る、か
中原中也のこの詩を通じて知る、か
シャルル・ピエール・ボードレールの
「悪の華」の中の
「薄暮(くれがた)の曲」の上田敏訳を
中原中也は、
見事に受容しました。
それも
一人の女性、
長谷川泰子という
固有名を詩に登場させ
その女性への恋歌へと
作り直したのです。
花が芳香を放つ
その時の時の
花のシステム。
まるで香炉に
蜜が分泌され
次から次へと
溢れ出てくる
甘やかな香り
その様子が
時こそ今は花は香炉に打薫じ
と、歌われました。
やがて香りは
空気に広がり
立ちこめる。
こんな時だから
泰子よ
しずかに
一緒に過しましょう。
詩人の
求愛の声は悲痛ですが
諦めが交ざって
さめざめとした響きすらあります。
夏だろうか
秋だろうか
秋の章に入っているのだから
秋だろう、きっと。
では、花は、何の花なのか
百合ではないのか
などと想像するのは勝手ですが……
そこはかとない気配のする
水に濡れ、雫のしたたる花。
家路を急ぐ人々
遠くの空を飛ぶ鳥は
いたいけない
情にあふれている。
夕方のまがき
群青の空
と、あるから
ここは、
東京の閑静な住宅地ではないでしょうか。
こんな今こそ
泰子の髪の毛は
やわらかに揺れて
花が香りを発散するような
絶頂の時を迎えるのになあ。
花は芳香を放ち、
「、」で
この詩は終わりますが
「、」は、この詩の内部の時間が
終わらないことを示します。
ここでは
上田敏訳の「薄暮の曲」全4連の
第1連と第2連を載せておきます。
時こそ今は水枝(みずえ)さす、こぬれに花の顫ふころ。
花は薫じて追い風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈(くるめき)よ、
花は薫じて追い風に、不断の香の炉に似たり。
痍(きず)に悩める胸もどき、ヸオロン楽(がく)の清掻(すががき)や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたれ眩暈(くるめき)よ、
神輿(みこし)の台をさながらの雲悲みて艶(えん)だちぬ。
(「角川新全集第1巻・詩Ⅰ本文篇」より)
*
時こそ今は……
時こそ今は花は香炉に打薫じ
ボードレール
時こそ今は花は香炉に打薫(うちくん)じ、
そこはかとないけはひです。
しほだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。
いかに泰子、今こそは
しづかに一緒に、をりませう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情け、みちてます。
いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青(ぐんじやう)の
空もしづかに流るころ。
いかに泰子、今こそは
おまへの髪毛(かみげ)なよぶころ
花は香炉に打薫じ、
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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