「むなしさ」からはじまる<7>
臘祭(ろうさい)の「臘」は
「陰暦12月」をさし
簡単にいえば
「12月のお祭り」のことです。
横浜の中華街の年末には
このようなお祭りが
行われていたものか
現在も行われているのでしょうか。
横浜は
詩人の母フクが生まれ、
7歳まで育った土地でしたし
祖父助之が客死した土地でした。
東京に遠縁の中原岩三郎が居住していたように
横浜にも由縁があり
時あらば訪れては
一人身の淋しさを癒したのです。
こうして作られたのが
「横浜もの」といわれる
1連の作品です。
「むなしさ」のほかには
「山羊の歌」所収の
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
「未発表詩篇」の
「かの女」
「春と恋人」があります。
「むなしさ」については
大岡昇平が
次のように評しているのを
超える発言はめったにお目にかかれません――
「詩句には岩野泡鳴流の小唄調と田臭を持ったものであるが、「遐き空」「偏菱形」等の高踏的な漢語は、富永太郎や宮沢賢治の影響である。これだけでもダダの詩とは大変な相違であるが、重要なのは、ここで中原がよすがなき戯女に仮託して叙情していることであろう」
(新全集Ⅱ解題篇より)
「むなしさ」に現れる戯女=たわれめに
詩人は
己の孤独を重ね合わせ
ふるえるような悲しみの旋律を
シンクロさせているのです。
岩野泡鳴流というのが
具体的にどの詩句をさしているのかわかりませんが
花街には
三味線の音が
どこからともなく聞こえ
その音にあわせて小唄の一つが
奏でられていて自然です。
孤独の魂には
心細げに聞こえながら
芯のある三味線、小唄の響きは
心からの慰めになりました。
女たちから
「いき」な話を聞くことがあって
それもこの街へ立ち寄る理由の一つだったのかもしれません。
この詩では
胡弓の音が前面に立ち
三味線の音など
いっこうに聞えてこないようですが
大岡昇平が「岩野泡鳴流の小唄調」というのは
そのあたりのことを含んでのこととも受け取れて
読みの深さに脱帽するばかりです。
*
むなしさ
臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
よすがなき われは戯女(たはれめ)
せつなきに 泣きも得せずて
この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
海峡岸 冬の暁風
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)ひ
それらみな ふるのわが友
偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
胡弓の音 つづきてきこゆ
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
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