ラフォルグ<5>牧羊神、月下の一群
ラフォルグの詩が紹介されたのは
上田敏による訳詩集「牧羊神」が
初めてであろうと思われますが
「牧羊神」が出版されたのは
大正9年10月でした。
この中に
「お月様のなげきぶし」以下
「月光」
「ピエロオの詞」
「月の出前の対話」
「冬が来る」
「日曜」
「日曜日」の7篇が収められていますから
中原中也は
これらの訳詩を容易に読むことができました。
ほかには
堀口大学の「月下の一群」が
大正14年(1925年)9月に発行されていますから
この中にも
ジュール・ラフォルグの
「新月の連祷」
「最後の一つ手前の言葉」
「ピエロの言葉」
「五分間写生」の4作品があり
これらも容易に読むことができましたから
かなり頻繁に紐解いたことが想像されます。
このほかに
小林秀雄や富永太郎をはじめ
東大仏文科の学生とか
「白痴群」同人からとか
今日出海とか古谷綱武とか
中村光夫や佐藤正彰や大岡昇平ら
文学仲間とか
三好達治や高橋新吉や
高田博厚とか……
ときには
仏文科の教官、辰野隆(たつのゆたか)や
鈴木信太郎の授業への
「自主聴講」を通じてとか
大正2年発行の
アーサー・シモンズ「表象派の文学運動」(岩野泡鳴訳)や、
大正11年に発刊された
辰野隆と鈴木信太郎の共著「信天翁の眼玉」や、
大正13年発行の鈴木信太郎「近代仏蘭西象徴詩抄」を読んだり、
辰野隆には直接住まいを訪問して
フランス文学の動向などを聞いたりもしたようですから
その話の中で
ラフォルグに関しての情報を得ていたことなど
二人の会話の場面が彷彿としてきます。
と、ここまで書いたところで
「レコード芸術」7月号の
「吉田秀和インタビュー」で
このあたりに繋がる発言がありますから
紹介しておくことにします。
(つづく)
*
でぶっちょの子供の歌へる
ジュール・ラフォルグ
お亡くなりになつたのは
心臓病でです、お医者は僕にさう云つたけが、
ティル ラン レール!
気の毒なママ。
僕もあの世に行つてしまはう、
ママと一緒にねんねをするんだ。
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
往来で、みんなは僕を嗤(わら)ふんだ、
僕の様子が可笑しんだつて
ラ イ トウ!
知るもんか。
あゝ! でも一歩(ひとあし)あるくたんびに
息は切れるし、よろよろもする!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
それで野原に僕は行くんだ
夕陽が見えると泣けて来るんだ
ラ リ レット!
泣けてくるんだ。
よく知らないけど、だつて夕陽は
流れる心臓みたいぢやないか!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
あゝ! もし可愛いいジュヌヴィエーヴが
この心臓をお呉れといつたら、
ピ ル イ!
あいよだ!
僕は黄色で悲しげなんだ!
彼女は薔薇色、おまけに陽気さ!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
だいたいみんなが意地悪過ぎらあ、
夕陽を除(ど)けたらみんな意地悪だ、
ティル ラン レール!
夕陽とママと、
僕もあの世に行つてしまはう
ママと一緒にねんねをするんだ……
ホラ、ね、ホラ、ホラ、僕の心臓……
ね、ママ、僕を呼んでるのでせう?
(「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫より)
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